沛県は秦軍を迎え撃つ準備に追われていた。蕭何(しょうか)は劉邦(りゅうほう)に、沛県の少ない兵力では長くは持つまいと言うが、劉邦は自分たちの力で守り抜こうと考えていた。 いよいよ戦いが始まった。次々と犠牲者が出る中、蕭何は兵士たちを鼓舞し、樊カイは先頭を切って秦兵の中へ突っ込んでいく。蕭何と劉邦が魏王に援軍を頼むべきかと相談していた時、雍歯(ようし)が城門を出たとの知らせが入る。雍歯は劉邦の許可を得ずに秦軍に切り込んで、敵を撤退させたのだった。勝手な行動をとった雍歯は、本来なら軍令違反で斬首であったが、秦軍を撤退させた功により許され、祝勝会でも一番手柄として称えられる。 一方、呉中の項梁(こうりょう)のもとに、ト山(とざん)の山賊、桓楚(かんそ)と余英(よえい)の情報がもたらされる。2人を項軍に迎えたいと考えた項梁は、代理として項羽(こうう)を説得に向かわせる。龍且(りゅうしょ)と共にト山に向かった項羽は、桓楚と余英に、1人で万人と戦うほどの勇ましい武将がいなければ秦を滅ぼすのは難しいと言われ、自分こそがその「万人の敵」であると豪語する。すると桓楚は、禹(う)王を祭った祠(ほこら)の前にある大きな鼎(かなえ)を動かせたら項軍に加わると約束、一行は祠へと向かった。

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