関中に向けて彭城(ほうじょう)を発った劉邦(りゅうほう)だったが、ある日、兵士200人が行方不明となり、その後、殺されていたことが判明する。劉邦軍の後方に怪しい流民軍がいたことが分かり、劉邦は曹参(そうしん)に詳しく調べるよう命じる。 咸陽(かんよう)では、夜中に崇信(すうしん)が晨曦(しんぎ)のもとを訪れていた。章邯(しょうかん)への手紙を届けたという崇信に素直に感謝する晨曦だったが、崇信はすぐに兵を率いて咸陽へ戻るよう書き加えたことを明かす。崇信の目的は謀反だったのだ。 一方、軟禁状態の胡亥(こがい)はかつて始皇帝に仕えていた女官を呼び、自分が病気ではないことを文武百官に知らせてくれと頼む。しかし女官は生き永らえるためには心を病んでいるふりをするしかないと胡亥に話す。女官の話を聞いた胡亥は扶蘇の息子・子嬰(しえい)も同じ方法で死罪を免れたのだと気づき女官に子嬰を捜し出すよう頼む。 楚国では懐王(かいおう)が宋義(そうぎ)を卿子冠軍(けいしかんぐん)に封じ、鉅鹿(きょろく)へと派遣する。しかし宋義は安陽(あんよう)に兵を駐屯させたまま動こうとしない。飢えと寒さで兵が苦しむのを見かねて宋義の軍営を訪れた項羽(こうう)は軽くあしらわれる。しかし、項羽は宋義が息子を斉国の宰相にするために安陽に留まっていたのだと知ると、兵たちに食べ物を与えねぎらった後、躊躇なく宋義の首を斬り落とした。

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