嶢関(ぎょうかん)陥落の報告を受け、秦王・子嬰(しえい)は大臣たちにどうすべきか問う。大臣たちは口々に命をかけて戦うと言うが、劉邦(りゅうほう)から届いた降伏勧告を見た子嬰は大臣たちを下がらせる。子嬰は降伏勧告により嶢関が陥落した経緯を知り、敵である秦兵の命を重んじる劉邦に感心し降伏を決意したのだった。子嬰の娘と韓談は降伏に反対し子嬰を説得しようとするが、子嬰の決心は揺るがなかった。 一方、項羽(こうう)軍は降伏した秦兵20万を抱えたため、行軍の速度が落ちていた。楚兵よりも肉体労働をさせられるのに食料が粗末だと不満を抱く秦兵たちの間に、ゆくゆくは楚や諸侯の兵に組み込まれるという噂が広まり、司馬欣(しばきん)はその噂の出所をつかむべく密偵を秦兵に紛れ込ませていた。ある日、食事の粗悪さに不満を募らせた秦兵が楚の陣営に忍び込み食料を盗む事件が発生。現場にかけつけた司馬欣が龍且(りゅうしょ)をとりなすものの、盗みを働いた楚兵は反抗的な態度をとり五十叩きの刑に処せられる。楚兵と秦兵の溝は深まる一方だったが、范増(はんぞう)が項羽に進言し、項羽は食事の差をなくすよう指示した。 劉邦はついに咸陽に到着し子嬰の投降を受ける。劉邦軍の兵や流民、盗賊によって咸陽が混乱に陥っていると聞いた劉邦は、秦の法を撤廃して「法三章」を制定する。

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