かつてのユ医院を整備し、診療を始めたジュンのもとには多くの患者が訪れる。その頃、都では「東医宝鑑」の筆写本が出回り、間違った処方を受けた民が苦しみ恵民署に押し寄せていた。一時は医書の刊行が危ぶまれるが、筆写の際の誤記がもととわかり無事に刊行が決まる。山陰では凶作から餓死者が増え、遺体を見たジュンは疫病と判断する。

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