登録して視聴ポイントとおトクなクーポンをゲット!今すぐ無料トライアル小林多喜二闇があるから光がある--来るべき明日を予見しつつ 愛しつづけて 信じつづけて 激しく時代を行きぬいた青年多喜二--その愛と死のモニュメント! 1933年2月20日 小林多喜二は東京…映画邦画ヒューマンドラマ青春伝記(バイオグラフィー)1974年日本お気に入りに登録作品情報シェアXFacebookLINEURLをコピー
全話小林多喜二119分 2日間 330 pt 〜小林多喜二は、一九〇三年(明治36年)秋田の貧しい農家に生まれた。彼が四歳の時、一家は伯父のいる北海道小樽に移住した。伯父のパン工場で働きながら勉学に励み、高商(商大)卒業後、北海道拓殖銀行に勤務する。多喜二は、銀行業務帳簿の合間に小説を書いていた。二十一歳の時に田口タキと出会い恋に落ちる。借金までして彼女をわが家にひきとったが、タキは突然、多喜二の深い愛から逃げるように去っていった。また、社会で歴史に残る悪法「治安維持法」(一九二五年四月)が制定された。激しい抵抗運動が起き時代の大きな鼓動と呼応するかのように多喜二の胸を激しく打った。多喜二は文学にうちこみ、同時に労働者、農民闘争に参加した。そして遂にデビュー作「一九二八年三月十五日」を書きあげ、名実ともにプロレタリア作家としての道を歩むことになる
作品紹介闇があるから光がある--来るべき明日を予見しつつ 愛しつづけて 信じつづけて 激しく時代を行きぬいた青年多喜二--その愛と死のモニュメント! 1933年2月20日 小林多喜二は東京築地署で拷問のために29才4ヶ月の生涯を閉じた-- 「蟹工船」、1929年に発表されたにも関わらず現在のどん詰まりな労働環境をえぐるかの内容で今もなお多くの若者の心を激しく揺さぶるプロレタリア文学の金字塔である。その作者、小林多喜二は国家による殺人によってその生涯を終えた、いや終わらされた・・・・ 本映画は、日本軍国主義の荒れ狂う昭和初期、その嵐に抗し、プロレタリア文学運動に献身し、想像を絶する厳しい弾圧の中でも、友を信じ、来たるべき時代を信じ、死の瞬間までも希望に燃え生き抜いた彼の青春像を-その愛と死-を描いた“フィルムによるモニュメント”である。