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本編

あゝ決戦航空隊

あゝ決戦航空隊

  • 199分 
  • 2日間 330 pt 〜

昭和19年6月、マリアナ群島の拠点、サイパン島攻防戦の火蓋が切られる。その頃、大西瀧治郎中将は、海軍軍需省局長として、物資調達に奔走していた。また、その大西に心酔し、付き従っていた児玉機関長もその手足となり働いていた。大西の願いも空しく、7月サイパンは陥落する。海軍再建案を引っ提げ、米内海相に軍部入りを懇願する大西であったが、逆に現場の第一線である第一航艦司令長官に任命される。サイパン陥落を機に、日本の敗戦はおおうべくもなくなる。7月15日、参謀本部は最後の決戦案として、捷一号作戦と名付ける比島に上陸しようとするマッカーサー将軍率いる米軍を、海陸空でくい止めようとした。大西長官は、なんとしてもこの作戦を成功させねばならなかったが、飛行機はわずか30機しかなかった。10月、大西は特攻の編成を命じる。いままでなんとか特攻作戦を回避し、正攻法をと模索した末の決断だった。かくして、神風特別特攻隊が編成され、戦史にその例をみない必死必殺の特攻作戦が生まれることとなる。だが、捷一号作戦は失敗に帰する。今や1機の飛行機すらなくなった第一航艦では、陸戦隊として比島に籠もる決意をするが、その大西に台湾への転進命令が下る。戦局は益々苛烈の一途を辿り、硫黄島の全滅、沖縄の激戦といったように本土決戦は時間の問題となっていった。そして、比島海戦で戦術として採用された特攻は、今や大本営作戦として命令され、連日、全基地から特攻隊が出撃していった。その飛び立っていく飛行機を苦渋の思いで見る大西。一方、東京では、本土防衛隊として、小園大佐を司令とする厚木海軍航空隊が戦禍くい止めていた。昭和20年5月、軍司令部次長として帰国。和平論に傾いてきた軍令部、米内海相に、徹底抗戦を説く大西。だが、最高戦争指導会議では、ソ連を仲介とした和平を期待するが、ソ連は8月に突如対日宣戦を布告し満州に進出。これに対し、アメリカは広島、長崎への原爆を投下。日本はポツダム宣言を受諾するかどうかの岐路に立つ。大西は、軍人の本分や自ら死地へと向かった若者たちに報いるためにも、徹底抗戦論を唱える。また、これに同調するように厚木航空隊は、小園司令に従い叛軍を決意する。8月14日、御前会議で聖断が下り、大西は米内の切々たる説諭を受け、抗戦主張を断念し、慟哭する。8月15日、終戦の玉音放送。8月16日午前2時、大西瀧治郎中将は官舎にて自刃する。厚木基地に大西自刃の報が伝えられ、大西を私淑していた小園は錯乱し、零戦へと乗り込み、大西を追うかのように東京湾へと自爆していくのだった。

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