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第一回
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息が詰まるやうなこの小さき町の片隅で 崇高なる書物の内に響き渡る叡智の羽音だけが おれの精神(たましい)に安らぎと尊厳を与える。 ああ、だが、きみよ、 おれの運命の女よ、 静謐な賢者の柩をこじ開けて その馨しき禁断の蕾が零れ落ちるとき、 陰鬱な戀の火焔が揺蕩ひて 狂はむばかりの堕落へとおれを追ひ立てるのだ。
第二回

第二回

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見よ、街を灼き尽くさんと 地平線にその身を横臥へる太陽が おれを嘲笑つてゐる 見よ、四方八方を取り囲む山々が 凍えるやうな冷酷さをもつて おれを罵つてゐる 悪魔に魂を売り渡し、聖女の上衣(ローブ)を踏み躙つたおれを。 清廉潔白の民よ、さうだ、罪深いおれを赦すな もとより逃げ場のないおれだ この堅牢な檻の中で 我が最愛の悪徳に誓ひをたてよう。
第三回

第三回

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万物に平等に降り注ぐはずの朝日にさへも わが魂は見放された。 一片の光輝(かがやき)すらも届かぬこの深淵では 疑念と欺瞞が呪ひのやうに渦巻ゐて、 哀しき戀の亡霊が 沈鬱な執行人さながらに 粛々と 黒光りの断頭台へとおれを誘ふ。 身動ぎもせず祈りを捧げる清らかなる乙女よ、 無慈悲な別れの其の瞬間に 愛しきお前の憐憫をのみ、おれは請ふだらう。
第四回

第四回

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夜な夜な現れては消える、 青い夢の女、我が天使 あなたの其の聲、其の匂ひ、其の微笑みに、 癒されてゆく我が魂 我が恐るべき情熱 如何に人々が我を蔑まんとも、 幸福と光に盈ち溢れた我が天使よ、 絶望に打ちのめされたこの憐れな瀕死の男に ひとたび貴女の瑠璃色の慈愛が投げかけられれば 朽ちかけた命の炬火すらも蘇り、亦、輝きを取り戻す。
第五回

第五回

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耀きわたるこの大空の下で 剣呑さの欠片も感じさせぬ、浮かれたこの日曜の町中で 今この瞬間にも、 悪魔めが、おれを誑かさんと手薬煉を引ゐておるのだ この皮一枚の下には、 おれ自身にすらも制御の出来ぬ恐ろしい獣が居て、 隙あらばおれの内側から破つて出でて、 この世の惡業の限りを貪り尽くさんと 虎視眈々と機会を窺がつて居るのだ。
第六回

第六回

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苦腦、恥辱、後悔、啜り泣き、 おれの魂を腐蝕させてゐるすべての闇を 愛し君、我が戀人よ、お前は知つているだらうか? お前がその美しく白い腕(かいな)でおれを抱くとき、 お前がその純真で高潔な胸の中でおれを思ふとき、 おれはおまえを欺ひてゐるに等しいことを とは云へ、おれには、 真実のおれをおまえに打ち明ける勇気がないのだ。
第七回

第七回

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切ないほどに苦しく真摯な告白のそのあとに 即座に裏切りを果たす 我と我が身の愚かしさよ 遅すぎる懺悔は、もはや永久に届くまい。 何處まで行っても解放されることのない 呪いにも似た宿命 此の身に宿つた 醜悪極まる欲望の断片を 手当たり次第、其処(そこ)彼処(かしこ)にぶち撒けては 獣のやうに雄叫びを上げながら 灼熱業火の地獄へと堕ちてゆくのみだ。
第八回

第八回

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冷たい太陽が地平線の上を揺らめく頃、 おれに課せられた烈しい苦悶は、 何時しか甘美な快樂へと移り行く まこと 驚くべきことだが、 あれ程までに抗い、退けてきた惡夢が 今となつては名残惜しい饗宴(うたげ)の残肴のやうに おれの心に羨望の念さへ湧き起こす。 白日の下に曝け出された魂の罪業が 毒薬の如く全身に染み渡るのに おれはただ酔ひしれる。
第九回

第九回

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おれたちは 永劫不滅の報いを受けて 光に満ちた樂園から追放されたアダムとイブの因果のもとに 無慈悲にも行き場のない路上に打ち捨てられた 崇高かつ憐れな人間の成れの果て。 おまえもおれも 胸の内に抱えてゐるのは 等しく同じ 底知れぬ真暗闇の深淵だ。 神を求め、光を求め、己の罪を認めるがゆえ、 おれたちは 此の先も果てのない苦惱(くるしみ)を強いられるだらう。
第十回

第十回

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『少年よ、どんな気分だ。 凡てが虚構に過ぎぬことを思い知らされた 今宵、この陰惨な苦惱の瞬間は。 今の今まで、己を保つために信じてきた 僅かばかりのささやかな哲學が崩壊するさまは』 惡魔が目敏く絶望の匂ひを嗅ぎ付けて來て 少年に問ふ。 容赦なく降注ぐ冷たい雨粒が ただでさへ蒼い少年の頬を更に蒼白く変へて 少年は無言のまま、暗い森に立ち竦む。
第十一回

第十一回

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漆黑の夜に降る 鉛のやうに重たい雨が、硝子窓を激しく叩ゐて 瀕死の罪人を情け容赦なく責め立てる夏の湿り気が鬱陶しくも纏わりついて 躰の自由を奪ひとり、僅かな過失も赦さない不文律の檻の中に彼の者を押し込めてしまふ然(そ)うして この世界から隔てられてしまつた哀しき魂は 貞潔なる孤独をその身一つに背負つて無間地獄の闇の中で 永遠に沈黙した。
第十二回

第十二回

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かつてあの女(ひと)が描いて見せた黄昏の魅惑に 再び相まみえることが出来るのなら、 譬(たと)へば それが天国でも地獄でも 一向構はぬ 嵐を孕む鈍(にび)色(いろ)の空の下で 身動ぎもせず、おれはただ待つてゐる もはや 足掻いたり騒いだりすることに 何の意味もないことは 厭と謂ふほど承知の上だ おれはただ、あの眩暈のするやうな混沌の季節の中へ もう一度呑まれたいと切に願ふのだ。

PV

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