「大唐流流~宮廷を支えた若き女官~」の「第34話」をフル動画で配信中!
- プレミアム&見放題コース会員は
0ptで視聴できます - 登録して視聴
レンタルしてから30日以内に視聴を開始してください。初回再生から2日間視聴可能です。期間をすぎると視聴ができませんのでご注意ください。
画質についてあらすじ
馬海娘(ばかいじょう)とともに思玲公主(しれいこうしゅ)府へ装飾品の営業に訪れた怜燕児(れいえんじ)は、フ馬(ふば)である侯昌(こうしょう)の前で妓楼(ぎろう)に来る男たちの悪口を言い、侯昌(こうしょう)をひやひやさせる。その頃、張合(ちょうこう)が厳子方(げんしほう)の尋問を受けていた。張合(ちょうこう)は侯昌(こうしょう)の後ろ盾があることから不遜な態度を取るが、現場に現れた侯昌(こうしょう)に裏切られてしまう。一方、辺境にいる盛楚慕(せいそぼ)は派兵された先々で敵を平定し手柄を上げ続けていた。
『大唐流流~宮廷を支えた若き女官~』の動画一覧
本編
盛楚慕(せいそぼ)はケンカは弱いが「長安(ちょうあん)一の色男」と呼ばれている。しかし、父親である魯(ろ)国公は、息子が宿敵の息子に負けたことで怒り心頭。父親の折檻(せっかん)から逃げ出した楚慕(そぼ)は「長安(ちょうあん)の女に飽きた」と言って、友人の杜寧(とねい)と共に広州(こうしゅう)へ行くこととなる。一方、広州(こうしゅう)一の美人と呼ばれる傅柔(ふじゅう)は花嫁衣装に身を包み、陳(ちん)家に向かう。しかし、陳夫人(ちんふじん)の元に「花嫁は純潔ではない」と書かれた文が届き、夫人は柔(じゅう)に陳(ちん)家の門前で純潔を確かめさせるが…。
傅柔(ふじゅう)と傅音(ふいん)に書を教えることになった盛楚慕(せいそぼ)は「自強不息」の4文字を書いて見せ2人を感服させる。次に傅涛(ふとう)に兵法の解説を頼まれるが楚慕(そぼ)にそのような知識はなく、得意の詭弁(きべん)を弄して、なんとかその場を逃れる。しかし、永遠にごまかせるはずもないことは百も承知だった。そこで楚慕(そぼ)は一大決心をし、兵法の教えを請うべく母方の叔父である牛無敵(ぎゅうぶてき)の元を訪ねる。
傅柔(ふじゅう)から香袋をもらった盛楚慕(せいそぼ)は、傅涛(ふとう)と妓楼(ぎろう)に酒を飲みに行く。楚慕(そぼ)は、傅柔(ふじゅう)が妓楼に行く男が嫌いと知り帰ろうとするが、不能呼ばわりされ、2人は妓楼で一夜を過ごしてしまう。弟が妓楼に行ったと知り激怒する傅柔(ふじゅう)。傅涛(ふとう)は「楚慕(そぼ)に誘われた」と言うが、楚慕(そぼ)は何も知らないふりをして、何とかその場をしのぐ。急接近する傅柔(ふじゅう)と楚慕(そぼ)であったが、楚慕(そぼ)のついたうそがバレてしまい…。
楚慕(そぼ)が長安(ちょうあん)に戻ってくる。広(こう)州で叔父の牛無敵(ぎゅうぶてき)から兵法を習ったと言う楚慕(そぼ)を、盛驍靖(せいきょうせい)は信じようとしない。そこへ義兄である韓(かん)王から呼び出しがかかる。韓(かん)王も楚慕(そぼ)の話を信用せず、兵法の師を呼んで試験を行う。一方、広(こう)州では傅涛(ふとう)が従軍することを傅柔(ふじゅう)にだけ告げ、家を出てしまう。また傅柔(ふじゅう)は染料の仕入れのため自ら船に乗ることに。しかし「船旅は過酷なうえ、海賊に襲われる危険もある」と母親に猛反対されるのだった。
海賊にさらわれた傅柔(ふじゅう)を助けるために、水軍と共に海賊の巣窟へ向かった楚慕(そぼ)。しかし、水軍は四海幇(しかいほう)の策に引っかかり、傅柔(ふじゅう)たちがいる仙黄(せんこう)島ではなく、墜鷹(ついよう)島へ向かってしまう。楚慕(そぼ)は1人で仙黄(せんこう)島に乗り込み、傅柔(ふじゅう)の救出を試みる。一方、傅(ふ)家に積み荷の中身を見られたと知った陸雲戟(りくうんけき)は、口封じのためにある策を講じ、傅(ふ)家を大混乱に陥れるのだった。
広(こう)州の商家を火事で焼け出された傅柔(ふじゅう)は、家族と共に長安(ちょうあん)に住む叔父の家に身を寄せる。楚慕(そぼ)は、いくら反対されても傅柔(ふじゅう)との結婚を諦めようとしない。そこで盛夫人(せいふじん)は何とか2人を引き裂こうと一計を案じる。傅柔(ふじゅう)を韓(かん)王府に閉じ込めておこうというのだ。傅柔(ふじゅう)は家族を守るため、やむなく韓(かん)王府で5年間刺繍(しゅう)係として奉公する契約を結ぶ。それを知った楚慕(そぼ)は、母親を説得する方法はないものかと杜寧(とねい)に相談するのだった。
母親から傅柔(ふじゅう)との婚姻を認められた盛楚慕(せいそぼ)は、吉報を伝えに韓(かん)王府へ向かう。ちょうどその日は太子(たいし)の見合いのため、孫(そん)家と陸(りく)家の娘たちも韓(かん)王府に集まっていた。見合いが終わり、太子たちが芝居を見ているとそこに皇后が現れ、傅柔(ふじゅう)の刺繍(しゅう)を絶賛する。傅柔(ふじゅう)が盛楚慕(せいそぼ)の恋人だと知った陸雲戟(りくうんけき)は、皇后にある提案をして…。
傅柔(ふじゅう)は、李典制(りてんせい)から渡された刺繍(しゅう)を顔妃(がんひ)の所へ届けに行く。入り口で刺繍に不備があることに気付き出直そうとするが、内侍(ないじ)にせかされ、やむなく顔(がん)妃の前に出る。案の定、お付きの女官に叱責されるが、事の次第を正直に話したことで罪は不問に付される。そして顔(がん)妃から、皇后に献上された牡丹(ぼたん)の屏風(びょうぶ)と同じ大きさで、自分には蓮(はす)の花を刺繍するよう命じられる。この蓮の刺繍により傅柔(ふじゅう)の運命が…。
接戦の末、陸キ(りくき)との御前試合に勝った盛楚慕(せいそぼ)は、褒美として傅柔(ふじゅう)との婚姻を願い出ようとする。しかし、陸雲戟(りくうんけき)に邪魔をされ、彼の軍の副将となり盛(せい)国との戦に向かうことになってしまう。柔(じゅう)は、楚慕(そぼ)が戦場で殺される悪夢を見てしまい、夜中に外に出ているところを衛兵に見つかる。不審者として連行されそうなところを周(しゅう)王に助けてもらい、ケガをした傅柔(ふじゅう)に周(しゅう)王は薬を取りに来いと言うが…。
周(しゅう)王が司制(しせい)署に現れ、傅柔(ふじゅう)に自分の宮殿に来るよう命じる。傅柔(ふじゅう)が宮殿を訪れると、いきなり絵のモデルをさせられるが、太子(たいし)の婚礼で疲れがたまっていた傅柔(ふじゅう)は気を失い倒れてしまう。一方、盛楚慕(せいそぼ)は戦場で激しい戦闘を繰り広げていた。そんな中で傅涛(ふとう)に再会する。広(こう)州の家を出て従軍した傅涛(ふとう)は、各地を転戦し従九品の武官に昇格していた。母親の願いをかなえたと喜ぶ傅涛(ふとう)に楚慕(そぼ)は悲しい事実を告げるのだった
太子(たいし)妃は太子の気を引くために豪華な衣装で舞を披露するが、皇帝に“節制せよ”と諭されていた太子は太子妃を怒鳴りつけてしまう。動揺した太子妃が走り回っていたところ、司徒尚儀(しとしょうぎ)に礼儀作法のことで小言を言われ、太子妃は腹いせに尚儀を陥れようとする。太子妃の犯行現場を目撃した傅柔(ふじゅう)は機転を利かせて尚儀を助け、尚儀から内人(ないじん)試で落とした理由を告げられる。一方、盛楚慕(せいそぼ)は九柱(きゅうちゅう)城を攻め落とすためにある作戦を考えるのだった。
傅柔(ふじゅう)が馬で畑を踏み荒らした代償として、周(しゅう)王が農夫に与えた団扇(うちわ)が思わぬ波紋を呼ぶ。農夫が店舗に持ち込んだ団扇が韓(かん)王の手に渡ってしまい、「周(しゅう)王が畑を馬で踏み荒らして逃げた」と皇帝に伝えられたのだ。かねてより農業を手厚く保護してきた皇帝は激怒。周(しゅう)王を杖刑(じょうけい)に処し、さらに周(しゅう)王の師である長史(ちょうし)の銭文景(せんぶんけい)を左遷する。その日、太子(たいし)は皇帝の悲願だった「漢書(かんじょ)」の注釈を献上し、大いに株を上げるのだった。
傅柔(ふじゅう)は盛楚慕(せいそぼ)の死を悲しみ、食事も喉を通らない日が続いていた。周(しゅう)王の看病のおかげで、なんとか生きる気力を取り戻した傅柔(ふじゅう)は、盛楚慕(せいそぼ)の墓参りに行く。一方、盛楚慕(せいそぼ)は瀕死の状態で海に落ちたところを厳子方(げんしほう)に救われていた。厳子方(げんしほう)は朝廷に仕えるために身分の高い仲立ち人を探しており、楚慕(そぼ)に恩を売ろうとしていたのだった。宮中では、太子(たいし)妃の懐妊を機に、皇后が陸盈盈(りくえいえい)を太子の側室に迎えようとしていた。
陸盈盈(りくえいえい)は父と兄を助けるため重い甲冑(かっちゅう)を身に着け何日も門の前でひざまずいていた。周囲は、そのけなげな姿に感動し孝行者だと褒めたたえる。盛楚慕(せいそぼ)は戦場での功績により宣威(せんい)将軍に抜擢されるが、傅柔(ふじゅう)に会うこともかなわず落ち込んでいた。そんなある日、傅柔(ふじゅう)は楚慕(そぼ)への贈り物にしようと作りためた刺繍(しゅう)を盛楚令(せいそれい)に託す。折悪しくその現場をキン楠公主(きんなんこうしゅ)に見られてしまい、頭の痛い問題に発展する。
傅柔(ふじゅう)と連絡を取りたい盛楚慕(せいそぼ)は、盛楚令(せいそれい)の提案で、宮中に凧(たこ)を飛ばす。凧を拾おうとしたキン楠公主(きんなんこうしゅ)の侍女、珍珠(ちんじゅ)は梁(りょう)王に捕まり、梁(りょう)王府に行くよう命じられる。公主は珍珠(ちんじゅ)を、女癖の悪さで有名な梁(りょう)王の元に行かせないために太子(たいし)に協力を依頼し、太上皇(たいじょうこう)を説得しようと試みる。一方、太子妃は公主に、傅柔(ふじゅう)が周(しゅう)王と無許可で外出したことを告げ口してしまい…。
太子(たいし)妃が、傅柔(ふじゅう)と周(しゅう)王の件を告げ口したことで、韓(かん)王府の面目を潰したことを知った太子は激怒。太子妃は口が滑っただけでこんな大事になるとは思っていなかったと弁明するが、太子の怒りは収まらない。納得のいかない様子の太子妃に侍女が「韓(かん)王府の内通者がいるのでは」と告げ、太子妃は韓(かん)王府から来た女官に濡れ衣を着せ、杖刑(じょうけい)に処したうえ韓(かん)王府に送り返す。一方で盛楚慕(せいそぼ)と傅柔(ふじゅう)はついに念願の再会を果たすのだった。
盛楚令(せいそれい)は、キン楠公主(きんなんこうしゅ)と夫婦(めおと)になりたいと家族に告げ、魯国公(ろこくこう)は皇帝に縁談を申し込みにいく。しかし、口下手な魯(ろ)国公は皇帝の誤解を招き、楚令(それい)ではなく楚慕(そぼ)と公主の縁談が進んでしまう。一方、無事に帰順し鎮海(ちんかい)将軍の称号をもらった厳子方(げんしほう)は、宮中で自分の本名は方子厳(ほうしげん)ではなく、両親を殺されて海賊になったことを打ち明け、周囲を騒然とさせる。
キン楠公主(きんなんこうしゅ)は盛楚慕(せいそぼ)との結婚が取りやめになったことを傅柔(ふじゅう)に告げ、互いに喜び合う。太子(たいし)妃の父、孫潭(そんたん)は曹内侍(そうないじ)から太子夫妻の近況を聞き、娘の悪妻ぶりに激怒する。しかし孫霊薇(そんれいび)は「東宮(とうぐう)でひどい目に遭わされているのは太子妃だ」と姉を擁護。霊薇(れいび)を通して太子と陳吉(ちんきつ)の件を知った孫潭(そんたん)は、皇帝の前でそれを公にし「太子を諫(いさ)めなければ大唐の未来は危うい」と進言するのだった。
1日だけ実家に帰ることを許された傅柔(ふじゅう)は、盛楚慕(せいそぼ)との待ち合わせに向かっていた。しかし、そこに厳子方(げんしほう)と周(しゅう)王が現れ、3人は柔(じゅう)をめぐって争い始める。あきれた柔(じゅう)が実家に帰ると、妹の音(いん)から「杜寧(とねい)に求婚された」と聞き、喜ぶ。太子(たいし)妃は自分の犯した罪を反省し、陳吉(ちんきつ)の墓の前で懺悔(ざんげ)していると、そこに太子が現れ…。
家出をした傅音(ふいん)は母親が殺された理由を探るため、陸キ(りくき)の侍女として陸(りく)家に入り込む。傅柔(ふじゅう)は不本意ながら尚礼(しょうれい)局の司言(しげん)に昇格する。そんな中、韓(かん)王が皇帝から文学館の設立を許されたことが波紋を呼んでいた。太子(たいし)の即位を願う太上皇(たいじょうこう)は太子を呼び出し、韓(かん)王が賢才を集めていることが、かつて皇帝が賢才を集めて皇帝の座に就いたことを彷彿(ほうふつ)させるとして、警戒を怠らぬよう忠告するのだった。