『よみがえる総天然色の列車たち第2章 4 西日本私鉄篇後編 奥井宗夫8ミリフィルム作品集』の動画一覧

本編

よみがえる総天然色の列車たち第2章 4 西日本私鉄篇後編 奥井宗夫8ミリフィルム作品集

よみがえる総天然色の列車たち第2章 4 西日本私鉄篇後編 奥井宗夫8ミリフィルム作品集

  • 80分 
  • 7日間 330 pt 〜

京阪電気鉄道 600ボルト時代の京阪本線。この路線のシンボル・天満橋-守口市間の複々線区間を行く3000系は、京阪特急の代名詞とも言うべき「テレビカー」の第4代。これにまじって旧1810系や1900系も特急運用に活躍する。初代「テレビカー」1800系も一般運用ながら本線を疾走。交野線では1300型などの旧型車両が余生を送る。京阪本線七条―三条間は鴨川沿いの地上線を列車が走る。京津線では地下鉄開業で消えた併用軌道区間を高床式の車両が走り、琵琶湖畔の要衝・浜大津駅は線路配置変更前の姿。(昭和47年~昭和57年撮影) <京阪本線>3000系(初代)/1800系/1900系/旧1810系/600系/700系/500型/1300型/2000系/2200系/2400系/5000系/260型/80型/300型/60型びわこ号> 南海電気鉄道 南海本線系統の11000系特急「四国」は四国連絡の役割を担い、5501・5551形気動車やサハ4801形客車は国鉄紀勢本線へ直通する。一方の高野線には平坦線での高速性能と山岳線での登坂性能とを兼ね備えた「ズームカー」21000系が活躍。さらに豪華な「デラックスズームカー」20000系も特急「こうや」運用で全国屈指50‰の急勾配に挑む。河内長野―橋本間の旧線の失われた鉄道風景に全盛期の22000系の姿とともに紹介。国鉄から引き継いだ貨物を輸送するメインルートだった天王寺支線には、5121形など凸型電機が駆け抜ける。のちに和歌山電鐡に譲渡された南海屈指のローカル線貴志川線と、渋滞の波に消えた和歌山軌道線。阪堺電気軌道に引き継がれた阪堺軌道線各線の中でも、平野線のみがそれ以前に廃止となる。(昭和46年~昭和59年撮影) <11000系(初代1000系)/キハ5501・5551形/1551形/サハ4801形/2051系/7000系/7100系/21000系/20000系/22000系/6000系/6100系/6200系/8200系/1551系/1521系/ED5121形/ED5151形/モユニ1041形/30000系/1201形/321形/1001形/700形/251形/300形/モ301形/モ501形/モ121形/モ205形/モ161形/モ151形> 西日本鉄道 福岡市内を貫く大牟田本線の地上線。薬院駅付近には福岡市内線の城南線との平面交差が存在する。前身の九州鉄道時代に製造された300系や、流線形に転換クロスシートを備えた日本初の高速鉄道用連接車500系など、戦前生まれの車両が本線運用で活躍を続ける一方で、西鉄初の高性能車1000系は特急運用から外れつつある。後に一部が廃止された宮地岳線では、前身の博多湾鉄道汽船時代からのモ1形やモ10形が現役。貝塚駅では福岡市内線と接続する。その後大牟田本線では運転席を中央に配置した新型特急用車両2000形が台頭。甘木線では半流線型で前面5枚窓の200形が晩年を過ごす。 <100形/600形(2代)/313形/モワ800形/500形/1000形/1300形/20形/300形/200形/モト 900形/ク60形/モ1形/モ10形/120形/5000形/2000形>(昭和48年~昭和58年撮影)