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本編

人間魚雷・あゝ回天特別攻撃隊

人間魚雷・あゝ回天特別攻撃隊

  • 104分 
  • 2日間 330 pt 〜

昭和18年10月。広島県倉敷島のP基地では甲標的と呼ばれる特殊潜行艇の訓練が行われている。赴任してきたばかりの三島少尉は、この潜行艇の搭乗を志願する熱血漢。同室の先輩である大里大尉は、悪化する戦況を憂慮し、より優れた攻撃能力を持つ九三式魚雷を改良した特攻兵器人間魚雷の採用を上申する急進派だった。当初は、違和感しか抱かなかった三島だったが、その熱意や訓練中の事故で命を助けられたことから現潜水艇の欠点、そして人間魚雷の必要性を痛感し、大里への協力を強く申し出る。だが、この兵器が必殺なるが故に、必死であることからその採用は容易には認められなかった。昭和19年2月、さらなる戦況の悪化から遂に人間魚雷が〇六兵器として試作されることとなる。この挙に、基地全体が不眠不休の作業を行い、〇六兵器は完成し、航走試験にも成功する。こうして、試作兵器〇六は、正式採用となり、「回天」と名付けられる。徳山湾大津島に、第二特攻隊が設置され、歴戦の猛者である片山少佐が着任。厳しい訓練と戦備の日々。そんな中、折からの風雨のため、訓練中止が命じられる中、それを押し切り大里は吉岡と共に搭乗、潜行するがそのまま浮上しなかった。大里と吉岡の死。引き上げられた回天には、死の直前まで、冷静に記された大里の事故報告、遺言が残されていた…。残された三島たちは、大里に続けとばかり猛訓練が繰り広げられる。昭和19年10月、戦局はさらに悪化。神風特攻隊の出撃に呼応するかのように、その月の下旬、連合艦隊司令部から回天の特別攻撃作戦命令が下され、「菊水隊」編成が発表される。目標は、ウルシー、パラオのコッソル水道に碇泊中の敵艦隊。攻撃日は、11月20日黎明と決定。出撃数日前、搭乗隊員全てに一日だけの帰省許可が下りる。家族、知人、そして愛する人とのそれぞれ、そして永遠の別れ。〝海ゆかば〟流るる大津島基地、時は11月8日朝。3隻の潜水艦に分乗し出撃してゆく。三島の胸には大里の位牌が抱かれていた。回天特別攻撃隊菊水隊は、一路南下、ウルシー環礁、パラオのコッソル水道に至り、多くの戦果を挙げる。そして、その激戦のうねる海に、若者たちは遂に帰らざる人となった。

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