大河ドラマ 徳川慶喜

第 8回 新婚生活

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あらすじ

婚礼の後、参議になった慶喜は城内の控え室で、福井藩主・松平慶永(よしなが)から期待の言葉をかけられます。一方、義母の直子(つねこ)と正室の美賀(みか)はともに京の公家出身のため、御所言葉で親しく語っていました。そのころ、新三郎と、旗本に囲われているみよとのうわさが広まったため、慶喜は新三郎と水戸藩士の娘・たみを結婚させて事の収拾を計ります。慶喜と新三郎はそれぞれ新婚生活を送りながら新年を迎えます。

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『大河ドラマ 徳川慶喜』の動画一覧

本編

第41回 将軍慶喜

第41回 将軍慶喜

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

慶喜は長州征伐を中止し、反対する天皇に情勢変化を説いて停戦の勅命を得ると共に、長州との仲介に軍艦奉行・勝海舟を充てます。松平春嶽(しゅんがく)は将軍職を拒む慶喜に、将軍が不在となれば自然に大政奉還が実現すると感心しますが、慶喜は理屈として正しくても時代のすう勢を読み違えてはいけないと反論します。朝廷では薩長寄りの公家らが王政復古を画策しますが、孝明天皇は信任の厚い慶喜に15代将軍の勅命を下します。
第42回 孝明天皇の死

第42回 孝明天皇の死

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

慶応2年(1866)、慶喜は15代将軍となり、二条城に幕閣を集めて幕政改革の必要性を訴えます。そして、オランダ留学から帰った幕臣の西周(あまね)に諸外国の政治・経済・軍事などの諸事情を報告させて、幕政改革に生かそうと考えます。伏見の薩摩藩邸では、大久保利通たちが慶喜の改革に警戒心を強めます。そんな中、孝明天皇の容体が急変し、その夜のうちに世を去ってしまいます。慶喜は最大の後ろ盾を失いました。
第43回 議題草案

第43回 議題草案

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

孝明天皇の崩御により、若い明治天皇が即位しますが、朝廷内での幕府の立場は弱くなり、公武合体の基本政策は揺らぎます。長州討伐を主張する声もありましたが、慶喜は国内で争う時ではないとして、幕臣の西周(にしあまね)に徳川中心の憲法草案の作成を命じます。そんな中、慶喜は薩長の画策で兵庫開港を要求する外国と、開港を許さない朝廷との板ばさみに遭います。将軍就任の祝宴で、慶喜は兵庫港開港を宣言します。
第44回 倒幕

第44回 倒幕

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  • 3日間 220 pt 〜

慶喜が兵庫港開港を諸外国に約束したことで、薩摩は慶喜の政治的手腕に危機感を強め、一挙に大政奉還に持ち込もうと焦ります。二条城では、慶喜が松平春嶽(しゅんがく)や島津久光らを集め、朝廷に兵庫港開港と長州処分の2件を同時に評議してもらうことを決めます。そのため、慶喜は自ら御所に赴き、2昼夜に渡り、公家を説得して勅許を得ます。一方、薩摩の西郷吉之助は、倒幕のために挙兵することを決心します。
第45回 大政奉還

第45回 大政奉還

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慶喜が長州に寛大な処分を決めたため幕閣は武力討伐を主張しますが、幕府軍の戦力を知る慶喜は強硬論を退けます。そんな中、慶喜は幕閣から土佐の大政奉還建白の情報を聞き、坂本龍馬の「船中八策」を渡されて、新体制作りを急ぎます。そして、西周(にしあまね)の「議題草案」が完成します。土佐は独自に大政奉還の建白書を幕府に提出する一方、薩摩は倒幕の勅命を画策します。慶喜は倒幕派の機先を制して大政奉還を表明します。
第46回 小御所会議

第46回 小御所会議

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慶応3年(1867)10月、慶喜は大政奉還と将軍職の辞退で、幕府が朝敵として討伐されることを回避します。また、普代や旗本が薩長の挑発にのって暴走しないよう老中・板倉勝清(かつきよ)に命じます。12月、岩倉具視(ともみ)ら倒幕急進派が中心の小御所会議が新天皇の御前で開かれ、王政復古の大号令が発せられます。松平春嶽(しゅんがく)らが勅旨として決定を伝えると、慶喜は領地献上以外の条件を全て受け入れます。
第47回 朝敵

第47回 朝敵

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

王政復古の大号令により、慶喜の官位返上と徳川家領地献上が決定します。薩摩の陰謀と断じる家臣たちは薩摩討伐を直訴しますが、慶喜は応じません。江戸では、薩摩藩の挑発が原因となる庄内藩の江戸薩摩藩邸焼き討ちや、薩摩による江戸城西の丸の火事などが起き、慶喜は朝敵の汚名を覚悟で薩摩討伐令を発します。慶応4年(1868)、「鳥羽・伏見の戦い」です。しかし、幕府軍は「錦の御旗」を掲げる薩長軍に大敗します。
第48回 恭順謹慎

第48回 恭順謹慎

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慶喜は江戸に戻り、大奥で静寛院宮(和宮)や天璋院(てんしょういん)に大政奉還から鳥羽・伏見の戦いで朝敵になった経緯を説明して、自分一人で責任を負う覚悟を決め、恭順の意を示します。また、江戸城で旗本たちに事態を説明して鎮静化を図り、勝海舟に幕府の後始末を命じて、上野寛永寺で謹慎します。勝は、腹心の山岡鉄太郎に西郷吉之助へ書状を届けさせます。慶喜は、幕府という組織が時代にあわないと感じていました。
第49回 無血開城(最終回)

第49回 無血開城(最終回)

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慶応4年(1868)、山岡鉄太郎は勝海舟の使者として官軍参謀・西郷吉之助に会い、慶喜の処遇を巡り激しく対立しますが、後日の勝・西郷会談で、江戸城の無血開城が決まり、慶喜は死罪を免れます。慶喜は謹慎先の水戸で母・吉子に会い、朝敵の汚名を被ったことをわびますが、母は自らを犠牲にして徳川と日本を救った息子をねぎらいます。時代は明治となり、慶喜は静岡に移り、家族に囲まれて静かに暮らしました。

PV

[お試し] 第41回 将軍慶喜再生
[お試し] 第41回 将軍慶喜
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慶喜は長州征伐を中止し、反対する天皇に情勢変化を説いて停戦の勅命を得ると共に、長州との仲介に軍艦奉行・勝海舟を充てます。松平春嶽(しゅんがく)は将軍職を拒む慶喜に、将軍が不在となれば自然に大政奉還が実現すると感心しますが、慶喜は理屈として正しくても時代のすう勢を読み違えてはいけないと反論します。朝廷では薩長寄りの公家らが王政復古を画策しますが、孝明天皇は信任の厚い慶喜に15代将軍の勅命を下します。
[お試し] 第42回 孝明天皇の死再生
[お試し] 第42回 孝明天皇の死
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慶応2年(1866)、慶喜は15代将軍となり、二条城に幕閣を集めて幕政改革の必要性を訴えます。そして、オランダ留学から帰った幕臣の西周(あまね)に諸外国の政治・経済・軍事などの諸事情を報告させて、幕政改革に生かそうと考えます。伏見の薩摩藩邸では、大久保利通たちが慶喜の改革に警戒心を強めます。そんな中、孝明天皇の容体が急変し、その夜のうちに世を去ってしまいます。慶喜は最大の後ろ盾を失いました。
[お試し] 第43回 議題草案再生
[お試し] 第43回 議題草案
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孝明天皇の崩御により、若い明治天皇が即位しますが、朝廷内での幕府の立場は弱くなり、公武合体の基本政策は揺らぎます。長州討伐を主張する声もありましたが、慶喜は国内で争う時ではないとして、幕臣の西周(にしあまね)に徳川中心の憲法草案の作成を命じます。そんな中、慶喜は薩長の画策で兵庫開港を要求する外国と、開港を許さない朝廷との板ばさみに遭います。将軍就任の祝宴で、慶喜は兵庫港開港を宣言します。
[お試し] 第44回 倒幕再生
[お試し] 第44回 倒幕
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慶喜が兵庫港開港を諸外国に約束したことで、薩摩は慶喜の政治的手腕に危機感を強め、一挙に大政奉還に持ち込もうと焦ります。二条城では、慶喜が松平春嶽(しゅんがく)や島津久光らを集め、朝廷に兵庫港開港と長州処分の2件を同時に評議してもらうことを決めます。そのため、慶喜は自ら御所に赴き、2昼夜に渡り、公家を説得して勅許を得ます。一方、薩摩の西郷吉之助は、倒幕のために挙兵することを決心します。
[お試し] 第45回 大政奉還再生
[お試し] 第45回 大政奉還
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慶喜が長州に寛大な処分を決めたため幕閣は武力討伐を主張しますが、幕府軍の戦力を知る慶喜は強硬論を退けます。そんな中、慶喜は幕閣から土佐の大政奉還建白の情報を聞き、坂本龍馬の「船中八策」を渡されて、新体制作りを急ぎます。そして、西周(にしあまね)の「議題草案」が完成します。土佐は独自に大政奉還の建白書を幕府に提出する一方、薩摩は倒幕の勅命を画策します。慶喜は倒幕派の機先を制して大政奉還を表明します。
[お試し] 第46回 小御所会議再生
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慶応3年(1867)10月、慶喜は大政奉還と将軍職の辞退で、幕府が朝敵として討伐されることを回避します。また、普代や旗本が薩長の挑発にのって暴走しないよう老中・板倉勝清(かつきよ)に命じます。12月、岩倉具視(ともみ)ら倒幕急進派が中心の小御所会議が新天皇の御前で開かれ、王政復古の大号令が発せられます。松平春嶽(しゅんがく)らが勅旨として決定を伝えると、慶喜は領地献上以外の条件を全て受け入れます。
[お試し] 第47回 朝敵再生
[お試し] 第47回 朝敵
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王政復古の大号令により、慶喜の官位返上と徳川家領地献上が決定します。薩摩の陰謀と断じる家臣たちは薩摩討伐を直訴しますが、慶喜は応じません。江戸では、薩摩藩の挑発が原因となる庄内藩の江戸薩摩藩邸焼き討ちや、薩摩による江戸城西の丸の火事などが起き、慶喜は朝敵の汚名を覚悟で薩摩討伐令を発します。慶応4年(1868)、「鳥羽・伏見の戦い」です。しかし、幕府軍は「錦の御旗」を掲げる薩長軍に大敗します。
[お試し] 第48回 恭順謹慎再生
[お試し] 第48回 恭順謹慎
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慶喜は江戸に戻り、大奥で静寛院宮(和宮)や天璋院(てんしょういん)に大政奉還から鳥羽・伏見の戦いで朝敵になった経緯を説明して、自分一人で責任を負う覚悟を決め、恭順の意を示します。また、江戸城で旗本たちに事態を説明して鎮静化を図り、勝海舟に幕府の後始末を命じて、上野寛永寺で謹慎します。勝は、腹心の山岡鉄太郎に西郷吉之助へ書状を届けさせます。慶喜は、幕府という組織が時代にあわないと感じていました。
[お試し] 第49回 無血開城(最終回)再生
[お試し] 第49回 無血開城(最終回)
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慶応4年(1868)、山岡鉄太郎は勝海舟の使者として官軍参謀・西郷吉之助に会い、慶喜の処遇を巡り激しく対立しますが、後日の勝・西郷会談で、江戸城の無血開城が決まり、慶喜は死罪を免れます。慶喜は謹慎先の水戸で母・吉子に会い、朝敵の汚名を被ったことをわびますが、母は自らを犠牲にして徳川と日本を救った息子をねぎらいます。時代は明治となり、慶喜は静岡に移り、家族に囲まれて静かに暮らしました。