大河ドラマ 徳川慶喜

[お試し] 第20回 慶喜変身

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慶喜は父・斉昭の死で深い悲しみに襲われます。水戸では実母の吉子が斉昭の遺言に従い、側(そば)用人・水原に、藩や幕府、一橋家の情勢を調べさせます。水戸も幕閣も束ねる者がなく混乱する中、慶喜は日本が道しるべを失ったことに大きな不安を覚えます。そして、7歳上の義母・直子(つねこ)との仲を誤解した正室の美賀(みか)に日本の現況を話し、困難な時代を生き抜くため何が起きても信じてついてくるよう諭します。

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『大河ドラマ 徳川慶喜』の動画一覧

本編

第21回 兄と弟

第21回 兄と弟

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

大老・井伊直弼(なおすけ)と水戸の斉昭が世を去ったことで、薩摩の島津久光が台頭してきます。水戸では藩主・慶篤(よしあつ)が母・吉子に、藩内の対立が激化したのも財政がひっ迫したのも父・斉昭のせいだと不満をぶつけていました。一方、謹慎中の慶喜は内密に水戸へ入り、独り、父・斉昭の墓前に立ちます。その夜、慶喜は兄・慶篤と再会し、酒を酌み交わしすうちに、父・斉昭を非難する慶篤を殴り倒してしまいます。
第22回 母と子

第22回 母と子

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

慶喜は謹慎を解かれますが隠居のままでした。京では、皇女・和宮が有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王との婚約を破棄されて将軍家への降嫁が決まり悲しみに暮れています。和宮の生母・観行院は命を絶ってでも、降嫁の取り消しを図ろうとします。関白・九条尚忠(ひさただ)は和宮降嫁にためらい始めますが、侍従の岩倉具視(ともみ)に説き伏せられます。新門一家では、およしとガンツムの「産みの母」騒ぎが起きます。
第23回 和宮下向

第23回 和宮下向

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

朝廷は、通商条約の破棄を約束しながら新たにプロシアと条約を結んだ幕府に怒り、和宮の下向中止を言い出しますが、幕府は京都所司代・酒井忠義を遣わして関白・九条尚忠(ひさただ)を説得し、下向中止を回避します。文久元年(1861)10月、和宮は京を発ち、江戸へ向かいます。やがて、将軍・家茂(いえもち)と和宮の婚儀が行なわれますが、公家風を通す和宮は前将軍の正室・天璋院(てんしょういん)と激しく対立します。
第24回 久光上洛

第24回 久光上洛

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

薩摩の島津久光が上洛(じょうらく)して、これまでの幕府の政策を批判した上で、慶喜を将軍後見職とし、さらに松平春嶽(しゅんがく)を大老に就任させるとした幕政改革を訴え、朝廷から勅旨を賜ります。江戸では、老中たちが久光の建白書の取り扱いに苦慮し、勅使到着の前に慶喜や安政の大獄で処分を受けた者たちの罪を免じて改革案のなし崩しを図ります。慶喜は謹慎を解かれて登城し将軍・家茂(いえもち)に初めて対面します。
第25回 将軍後見職

第25回 将軍後見職

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

幕府は勅使が到着する前に慶喜と松平春嶽(しゅんがく)らの罪を免じ、さらに、春嶽に幕政への参与を要請して、朝廷の政治関与に先手を打ちます。春嶽は政務への参与を了承すると共に、慶喜を将軍後見職に迎える必要性を説きます。やがて、京都から勅使・大原重徳(しげとみ)が江戸に到着して、将軍・家茂(いえもち)に勅書を読み上げます。当初、抵抗していた幕府は島津久光の圧力に屈し、慶喜が将軍後見職に任じられます。
第26回 生麦事件

第26回 生麦事件

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

文久2年(1862)、慶喜は将軍後見職となり、松平春嶽(しゅんがく)も政治総裁職に就きます。勅使の大原が慶喜と春嶽に島津久光を同席しての会見を申し入れますが、慶喜は勅使と幕閣の会見に無官の者が同席することに反対します。しかし、大原の申し入れ通りに会見が行なわれ、幕閣人事や和宮の待遇改善を要求します。その後、久光は薩摩へ帰る途中、生麦で行列を乱した英国人を殺傷する事件を起こします。
第27回 幕政改革

第27回 幕政改革

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

生麦事件の対応に追われる江戸城では、松平春嶽(しゅんがく)が薩摩藩を厳罰に処す強硬論を唱えますが、慶喜は国内の騒ぎを防ぐために慎重論を主張します。そして、慶喜は春嶽が重用する熊本藩士・横井小楠(しょうなん)から日本を取り巻く世界情勢を聞き、欧米にならった幕政の改革を決意します。一方、江戸城・大奥では和宮(かずのみや)と天璋院(てんしょういん)の対立がますます深まっていました。
第28回 上洛への道

第28回 上洛への道

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

慶喜が生麦事件の処理に追われていると、朝廷が急速に攘夷(じょうい)に傾いているとの報告が入ります。慶喜は幕閣を前に、外国と結んだ条約はたとえ勅許を得ていなくても、外交上破棄できないと断言して、幕府の進むべき道を示します。そして、上洛(じょうらく)して上奏する決意を語ります。側近・中根長十郎は新門辰五郎(たつごろう)に、慶喜上洛の警護を依頼します。やがて、勅使が下向し、慶喜の上洛が正式に決定します。
第29回 将軍名代

第29回 将軍名代

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

文久3年(1863)、慶喜は孝明天皇から攘夷(じょうい)と公武合体を命じられます。しかし、天皇は攘夷以上に外国との戦争回避を願っていました。攘夷派・三条実美(さねとみ)と公家らが、深夜に慶喜を訪ねます。異常を感じた慶喜は京都守護職・松平容保(かたもり)を呼び、真意を探らせます。すると、実美らは攘夷派浪士の標的にされるのを恐れての「攘夷派」だと分かりました。慶喜は攘夷の決行日を決めます。
第30回 奇策

第30回 奇策

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

慶喜は朝廷から、幕府の政治一任を取り付けていましたが、将軍・家茂(いえもち)が参内(さんだい)すると、事柄により朝廷が諸藩に命令を発するとの勅書を渡されます。松平春嶽(しゅんがく)は、大政の奉還による新たな国づくりを主張しますが、慶喜は時期尚早を説きます。慶喜は朝廷に攘夷(じょうい)の期限を5月10日と約束して江戸に帰りますが、江戸に着くと攘夷は不可能であるとして、将軍後見職の辞任を発表します。
第31回 孝明天皇の立場

第31回 孝明天皇の立場

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

長州藩が下関で米国商船を砲撃したとの報告が慶喜に入ります。老中・小笠原長行は、上洛(じょうらく)している将軍・家茂(いえもち)を無事に江戸へ帰すため、英国の軍艦で千人もの兵を大坂に送ります。京では攘夷(じょうい)派・姉小路公知(きんとも)が暗殺されるなど政情が混迷。京都守護職・松平容保(かたもり)は新選組に取締りを強化させます。孝明天皇は、偽の勅命を発した三条実美(さねとみ)ら長州派を追放します。
第32回 慶喜の悪酔い

第32回 慶喜の悪酔い

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

慶喜は、朝廷に将軍後見職辞任を許されず、逆に上洛(じょうらく)を命じられます。慶喜は再び上洛すると、松平春嶽(しゅんがく)、松平容保(かたもり)、山内容堂、島津久光らとともに参与として朝廷会議に参加して、公武合体と開国の政策変更を確認します。ところが、参与会議で慶喜は、上洛した将軍や幕閣の意を受けて開国反対の立場をとり、他の参与と激論になります。その夜、慶喜は深酒をして、悪酔いしてしまいます。
第33回 池田屋騒動

第33回 池田屋騒動

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

慶喜は攘夷(じょうい)派対策として、改めて朝廷から幕府に横浜港閉鎖を命じるよう申し出て、承諾されますが、次の日には朝廷がその決定を翻したことを知り、朝廷の優柔不断さを批判し、さらに開国派の春嶽(しゅんがく)や久光らを罵倒します。慶喜は将軍後見職を辞めて、御所を警備する禁裏御守衛(きんりごしゅえい)総督に就きます。祇園(ぎおん)祭が近い京都では、新選組が池田屋に集結する長州などの攘夷派を襲います。
第34回 御所突入

第34回 御所突入

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

新選組の池田屋襲撃で、幕府と長州の対立は決定的になります。一方、筑波山では水戸藩・尊攘(そんじょう)派中心の天狗(てんぐ)党が挙兵したため、幕府が討伐の兵を出します。京では、追放された公家らの赦免嘆願を口実に長州藩士が集結します。慶喜は、武力で京を手中に収めようとする長州の本心を見抜き、天皇に長州征伐の勅命を願い出ます。元治元年(1864)7月、長州が御所へ突入。「蛤(はまぐり)御門の変」です。
第35回 母の苦悩

第35回 母の苦悩

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

慶喜は禁裏御守衛(きんりごしゅえい)総督として指揮を執り、御所に突入した長州藩に応戦します。都の中心部は焼け野原になりますが、薩摩藩・西郷吉之助などの奮戦もあり長州を撃退します。一方、水戸藩では改革派・天狗(てんぐ)党の説得に派遣された武田耕雲斎が天狗党とともに水戸城に到着しますが、入城を拒む保守派と戦闘になります。すると、城内にいた、慶喜の母・吉子は開門を命じ、殺し合うことの愚かさを説きます。
第36回 仇(あだ)討ち

第36回 仇(あだ)討ち

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

京で撃退された長州藩に征伐の勅命が下されます。征伐軍・参謀長候補の西郷吉之助は幕府の軍艦奉行・勝海舟に征伐について意見を求めます。すると、勝は幕府の腐敗を責め、いずれ長州藩の力が必要になると発言し、西郷は衝撃を受けます。一方、筑波山の天狗(てんぐ)党は幕府軍に敗れ、慶喜を頼って、京へ向かいます。その中には、生麦から姿を消した新三郎とみよがいました。そして、新三郎に兄を殺された早川良介が現われます。
第37回 慶喜の頭痛

第37回 慶喜の頭痛

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

天狗(てんぐ)党に加わり京へ向かう新三郎とみよは、新三郎を敵と追う早川良介と出会います。新三郎は激しい斬り合いで相打ちとなり、みよの腕の中で息絶えます。慶喜は天狗党討伐の準備を進めながらも、立場上、天狗党を救済できないため、武田耕雲斎に隊を解くよう手紙で説得します。一方、長州征伐・参謀長の西郷吉之助は長州藩家老の切腹などで事を収束させたため、慶喜は西郷への警戒を強めるよう新選組・近藤勇に命じます。
第38回 条約勅許

第38回 条約勅許

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

慶喜が長州征伐を中止した上、長州を味方につけて次の将軍職を狙っていると、大奥でうわさになります。そのころ、イギリス・フランス・アメリカ・オランダの四国連合艦隊が兵庫沖に現われ、兵庫開港を要求します。京の慶喜は将軍・家茂(いえもち)に対応を命じられて大坂に向かいますが、すでに幕閣は朝廷の了承なしに承諾を決めていました。慶喜は急いで京へ戻り、通商条約の勅許を求めます。
第39回 将軍急死

第39回 将軍急死

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

慶応元年(1865)、慶喜は朝廷から日米修好通商条約の勅許を得ますが、幕府の懸案である長州征伐を、急いで処理するよう幕閣に命じます。翌年、慶喜は京都守護職・松平容保(かたもり)から、長州が英国から武器を輸入し倒幕に備えていると知らされ、長州征伐を急ぎます。そのころ、薩長同盟が成立します。7月、長州征伐のため大坂城に入っていた将軍・家茂(いえもち)が病に倒れ、息を引き取ります。
第40回 徳川家相続

第40回 徳川家相続

  • 42分 NHK見放題
  • 3日間 220 pt 〜

長州征伐で敗戦の知らせが届く中、将軍の急死で幕府は混乱します。慶喜は幕府から将軍職就任を頼まれますが固辞し、家臣に朝廷内での慶喜支持の動きや諸藩の反応を調べさせると共に、京都守護職・松平容保(かたもり)から長州征伐の状況や薩摩藩の情報を集めます。そして、徳川宗家を相続し長州征伐を進めます。慶喜は出陣直前に、小倉から敗走してきた老中・小笠原から幕府軍大敗の知らせを聞き、長州征伐の中止を決めます。

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[お試し] 第21回 兄と弟再生
[お試し] 第21回 兄と弟
  • 1分 
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大老・井伊直弼(なおすけ)と水戸の斉昭が世を去ったことで、薩摩の島津久光が台頭してきます。水戸では藩主・慶篤(よしあつ)が母・吉子に、藩内の対立が激化したのも財政がひっ迫したのも父・斉昭のせいだと不満をぶつけていました。一方、謹慎中の慶喜は内密に水戸へ入り、独り、父・斉昭の墓前に立ちます。その夜、慶喜は兄・慶篤と再会し、酒を酌み交わしすうちに、父・斉昭を非難する慶篤を殴り倒してしまいます。
[お試し] 第22回 母と子再生
[お試し] 第22回 母と子
  • 1分 
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慶喜は謹慎を解かれますが隠居のままでした。京では、皇女・和宮が有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王との婚約を破棄されて将軍家への降嫁が決まり悲しみに暮れています。和宮の生母・観行院は命を絶ってでも、降嫁の取り消しを図ろうとします。関白・九条尚忠(ひさただ)は和宮降嫁にためらい始めますが、侍従の岩倉具視(ともみ)に説き伏せられます。新門一家では、およしとガンツムの「産みの母」騒ぎが起きます。
[お試し] 第23回 和宮下向再生
[お試し] 第23回 和宮下向
  • 1分 
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朝廷は、通商条約の破棄を約束しながら新たにプロシアと条約を結んだ幕府に怒り、和宮の下向中止を言い出しますが、幕府は京都所司代・酒井忠義を遣わして関白・九条尚忠(ひさただ)を説得し、下向中止を回避します。文久元年(1861)10月、和宮は京を発ち、江戸へ向かいます。やがて、将軍・家茂(いえもち)と和宮の婚儀が行なわれますが、公家風を通す和宮は前将軍の正室・天璋院(てんしょういん)と激しく対立します。
[お試し] 第24回 久光上洛再生
[お試し] 第24回 久光上洛
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薩摩の島津久光が上洛(じょうらく)して、これまでの幕府の政策を批判した上で、慶喜を将軍後見職とし、さらに松平春嶽(しゅんがく)を大老に就任させるとした幕政改革を訴え、朝廷から勅旨を賜ります。江戸では、老中たちが久光の建白書の取り扱いに苦慮し、勅使到着の前に慶喜や安政の大獄で処分を受けた者たちの罪を免じて改革案のなし崩しを図ります。慶喜は謹慎を解かれて登城し将軍・家茂(いえもち)に初めて対面します。
[お試し] 第25回 将軍後見職再生
[お試し] 第25回 将軍後見職
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幕府は勅使が到着する前に慶喜と松平春嶽(しゅんがく)らの罪を免じ、さらに、春嶽に幕政への参与を要請して、朝廷の政治関与に先手を打ちます。春嶽は政務への参与を了承すると共に、慶喜を将軍後見職に迎える必要性を説きます。やがて、京都から勅使・大原重徳(しげとみ)が江戸に到着して、将軍・家茂(いえもち)に勅書を読み上げます。当初、抵抗していた幕府は島津久光の圧力に屈し、慶喜が将軍後見職に任じられます。
[お試し] 第26回 生麦事件再生
[お試し] 第26回 生麦事件
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文久2年(1862)、慶喜は将軍後見職となり、松平春嶽(しゅんがく)も政治総裁職に就きます。勅使の大原が慶喜と春嶽に島津久光を同席しての会見を申し入れますが、慶喜は勅使と幕閣の会見に無官の者が同席することに反対します。しかし、大原の申し入れ通りに会見が行なわれ、幕閣人事や和宮の待遇改善を要求します。その後、久光は薩摩へ帰る途中、生麦で行列を乱した英国人を殺傷する事件を起こします。
[お試し] 第27回 幕政改革再生
[お試し] 第27回 幕政改革
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生麦事件の対応に追われる江戸城では、松平春嶽(しゅんがく)が薩摩藩を厳罰に処す強硬論を唱えますが、慶喜は国内の騒ぎを防ぐために慎重論を主張します。そして、慶喜は春嶽が重用する熊本藩士・横井小楠(しょうなん)から日本を取り巻く世界情勢を聞き、欧米にならった幕政の改革を決意します。一方、江戸城・大奥では和宮(かずのみや)と天璋院(てんしょういん)の対立がますます深まっていました。
[お試し] 第28回 上洛への道再生
[お試し] 第28回 上洛への道
  • 1分 
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慶喜が生麦事件の処理に追われていると、朝廷が急速に攘夷(じょうい)に傾いているとの報告が入ります。慶喜は幕閣を前に、外国と結んだ条約はたとえ勅許を得ていなくても、外交上破棄できないと断言して、幕府の進むべき道を示します。そして、上洛(じょうらく)して上奏する決意を語ります。側近・中根長十郎は新門辰五郎(たつごろう)に、慶喜上洛の警護を依頼します。やがて、勅使が下向し、慶喜の上洛が正式に決定します。
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[お試し] 第29回 将軍名代
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文久3年(1863)、慶喜は孝明天皇から攘夷(じょうい)と公武合体を命じられます。しかし、天皇は攘夷以上に外国との戦争回避を願っていました。攘夷派・三条実美(さねとみ)と公家らが、深夜に慶喜を訪ねます。異常を感じた慶喜は京都守護職・松平容保(かたもり)を呼び、真意を探らせます。すると、実美らは攘夷派浪士の標的にされるのを恐れての「攘夷派」だと分かりました。慶喜は攘夷の決行日を決めます。
[お試し] 第30回 奇策再生
[お試し] 第30回 奇策
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慶喜は朝廷から、幕府の政治一任を取り付けていましたが、将軍・家茂(いえもち)が参内(さんだい)すると、事柄により朝廷が諸藩に命令を発するとの勅書を渡されます。松平春嶽(しゅんがく)は、大政の奉還による新たな国づくりを主張しますが、慶喜は時期尚早を説きます。慶喜は朝廷に攘夷(じょうい)の期限を5月10日と約束して江戸に帰りますが、江戸に着くと攘夷は不可能であるとして、将軍後見職の辞任を発表します。
[お試し] 第31回 孝明天皇の立場再生
[お試し] 第31回 孝明天皇の立場
  • 1分 
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長州藩が下関で米国商船を砲撃したとの報告が慶喜に入ります。老中・小笠原長行は、上洛(じょうらく)している将軍・家茂(いえもち)を無事に江戸へ帰すため、英国の軍艦で千人もの兵を大坂に送ります。京では攘夷(じょうい)派・姉小路公知(きんとも)が暗殺されるなど政情が混迷。京都守護職・松平容保(かたもり)は新選組に取締りを強化させます。孝明天皇は、偽の勅命を発した三条実美(さねとみ)ら長州派を追放します。
[お試し] 第32回 慶喜の悪酔い再生
[お試し] 第32回 慶喜の悪酔い
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慶喜は、朝廷に将軍後見職辞任を許されず、逆に上洛(じょうらく)を命じられます。慶喜は再び上洛すると、松平春嶽(しゅんがく)、松平容保(かたもり)、山内容堂、島津久光らとともに参与として朝廷会議に参加して、公武合体と開国の政策変更を確認します。ところが、参与会議で慶喜は、上洛した将軍や幕閣の意を受けて開国反対の立場をとり、他の参与と激論になります。その夜、慶喜は深酒をして、悪酔いしてしまいます。
[お試し] 第33回 池田屋騒動再生
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慶喜は攘夷(じょうい)派対策として、改めて朝廷から幕府に横浜港閉鎖を命じるよう申し出て、承諾されますが、次の日には朝廷がその決定を翻したことを知り、朝廷の優柔不断さを批判し、さらに開国派の春嶽(しゅんがく)や久光らを罵倒します。慶喜は将軍後見職を辞めて、御所を警備する禁裏御守衛(きんりごしゅえい)総督に就きます。祇園(ぎおん)祭が近い京都では、新選組が池田屋に集結する長州などの攘夷派を襲います。
[お試し] 第34回 御所突入再生
[お試し] 第34回 御所突入
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新選組の池田屋襲撃で、幕府と長州の対立は決定的になります。一方、筑波山では水戸藩・尊攘(そんじょう)派中心の天狗(てんぐ)党が挙兵したため、幕府が討伐の兵を出します。京では、追放された公家らの赦免嘆願を口実に長州藩士が集結します。慶喜は、武力で京を手中に収めようとする長州の本心を見抜き、天皇に長州征伐の勅命を願い出ます。元治元年(1864)7月、長州が御所へ突入。「蛤(はまぐり)御門の変」です。
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[お試し] 第35回 母の苦悩
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慶喜は禁裏御守衛(きんりごしゅえい)総督として指揮を執り、御所に突入した長州藩に応戦します。都の中心部は焼け野原になりますが、薩摩藩・西郷吉之助などの奮戦もあり長州を撃退します。一方、水戸藩では改革派・天狗(てんぐ)党の説得に派遣された武田耕雲斎が天狗党とともに水戸城に到着しますが、入城を拒む保守派と戦闘になります。すると、城内にいた、慶喜の母・吉子は開門を命じ、殺し合うことの愚かさを説きます。
[お試し] 第36回 仇(あだ)討ち再生
[お試し] 第36回 仇(あだ)討ち
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京で撃退された長州藩に征伐の勅命が下されます。征伐軍・参謀長候補の西郷吉之助は幕府の軍艦奉行・勝海舟に征伐について意見を求めます。すると、勝は幕府の腐敗を責め、いずれ長州藩の力が必要になると発言し、西郷は衝撃を受けます。一方、筑波山の天狗(てんぐ)党は幕府軍に敗れ、慶喜を頼って、京へ向かいます。その中には、生麦から姿を消した新三郎とみよがいました。そして、新三郎に兄を殺された早川良介が現われます。
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[お試し] 第37回 慶喜の頭痛
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天狗(てんぐ)党に加わり京へ向かう新三郎とみよは、新三郎を敵と追う早川良介と出会います。新三郎は激しい斬り合いで相打ちとなり、みよの腕の中で息絶えます。慶喜は天狗党討伐の準備を進めながらも、立場上、天狗党を救済できないため、武田耕雲斎に隊を解くよう手紙で説得します。一方、長州征伐・参謀長の西郷吉之助は長州藩家老の切腹などで事を収束させたため、慶喜は西郷への警戒を強めるよう新選組・近藤勇に命じます。
[お試し] 第38回 条約勅許再生
[お試し] 第38回 条約勅許
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慶喜が長州征伐を中止した上、長州を味方につけて次の将軍職を狙っていると、大奥でうわさになります。そのころ、イギリス・フランス・アメリカ・オランダの四国連合艦隊が兵庫沖に現われ、兵庫開港を要求します。京の慶喜は将軍・家茂(いえもち)に対応を命じられて大坂に向かいますが、すでに幕閣は朝廷の了承なしに承諾を決めていました。慶喜は急いで京へ戻り、通商条約の勅許を求めます。
[お試し] 第39回 将軍急死再生
[お試し] 第39回 将軍急死
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慶応元年(1865)、慶喜は朝廷から日米修好通商条約の勅許を得ますが、幕府の懸案である長州征伐を、急いで処理するよう幕閣に命じます。翌年、慶喜は京都守護職・松平容保(かたもり)から、長州が英国から武器を輸入し倒幕に備えていると知らされ、長州征伐を急ぎます。そのころ、薩長同盟が成立します。7月、長州征伐のため大坂城に入っていた将軍・家茂(いえもち)が病に倒れ、息を引き取ります。
[お試し] 第40回 徳川家相続再生
[お試し] 第40回 徳川家相続
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長州征伐で敗戦の知らせが届く中、将軍の急死で幕府は混乱します。慶喜は幕府から将軍職就任を頼まれますが固辞し、家臣に朝廷内での慶喜支持の動きや諸藩の反応を調べさせると共に、京都守護職・松平容保(かたもり)から長州征伐の状況や薩摩藩の情報を集めます。そして、徳川宗家を相続し長州征伐を進めます。慶喜は出陣直前に、小倉から敗走してきた老中・小笠原から幕府軍大敗の知らせを聞き、長州征伐の中止を決めます。