映像の世紀バタフライエフェクト
[お試し] アメリカと中東 終わりなき流血
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アメリカは戦後、中東介入を繰り返してきた。石油を国有化しようとしたイランにCIAを送り込み政権を転覆。親米国家に作りかえた。しかし民衆は反旗を翻し、イスラム教主導の反米国家に生まれ変わる。すると、アメリカはイランの敵対国イラクを軍事支援。だが、フセインが脅威となると武力で抑え込んだ。米軍の駐留は続き、外国人を狙った自爆テロが頻発する。ある米軍兵士は語った。「本当のテロリストは俺たちだったのかも」。
『映像の世紀バタフライエフェクト』の動画一覧
本編
就職先が見つからなかった若きアインシュタイン。仕方なくスイスの特許局に職を求めたことが、天才科学者誕生のきっかけだった。1905年、3つの論文を発表。「相対性理論」は第二次大戦下、アメリカの科学者たちによって磨き上げられ、遂には核というパンドラの箱を開いた。「ブラウン運動に関する数式」は、彼の死後、経済学者たちに応用され、金融市場に革命をもたらした。一人の天才から始まる科学者たちの罪と勇気の物語。
冷戦下の東ドイツ。抑圧された社会で生きる3人の女性がいた。見えない将来に絶望していた物理学者のアンゲラ・メルケル。体制への批判を歌にこめた歌手ニナ・ハーゲン。デモで自由を訴えた学生のカトリン・ハッテンハウワー。1989年、政府報道官のひとつの失言から始まったベルリンの壁崩壊は、巨大な嵐を巻き起こし3人の女性の運命を変えていく。宰相メルケル誕生に秘められた、絶望の中から希望をつかんだ女性たちの物語。
百年前、米カンザス州の陸軍基地で広まったスペインかぜは、第1次世界大戦へ向かう兵士たちと共にヨーロッパへ渡り4千万の命を奪った。さらにパリでの講和会議の最中に米大統領ウイルソンが感染したことで歴史が大きく変わる。ヒトラーの台頭である。一方、スペインかぜの最前線で闘った米ペンシルベニア大学は感染症研究の中心地となり、ハンガリーから来た女性博士との出会いを経て、コロナワクチン開発へとつながっていく。
ソ連を超大国へ導いたスターリン、その崩壊を目の当たりにし、大国ロシアの復活を誓ったプーチン、発掘映像によって、ふたりの権力者の実像に迫る。独裁によって2千万の命を奪ったスターリンの狂気、最大の犠牲となったウクライナの人々の悲劇とは? スターリンの死去の半年前に生まれたプーチン。スパイから大統領にまで押し上げたのは、国家崩壊の絶望の中で誓った大国ロシア復活への執念とKGB仕込みの権謀術数だった。
1889年4月、わずか4日違いでヨーロッパに生まれた喜劇王チャップリンと独裁者ヒトラー。多くの共通点を持つ、因縁のふたりが繰り広げた終わりなき闘いの物語である。 許諾が得られなかったため、一部映像を編集して配信します。
多くの命を奪ってきたアラブ人とユダヤ人の対立。きっかけは、イギリスの密命を帯びた一人の情報将校の行動だった。砂漠の英雄ロレンス。百年の悲劇はここから始まった。 許諾が得られなかったため、一部映像と音声を編集して配信します。
1962年、人類は全面核戦争の危機に直面した。アメリカの偵察機がキューバに建設中のソ連のミサイル基地を発見、完成すれば全米の主要都市が核弾頭の射程に入る。先制攻撃を叫ぶ軍部に立ち向かったのは、若き大統領ケネディ。その決断を支えたのはコードネームHEROと呼ばれたスパイの命をかけた情報だった。ホワイトハウスで密かに録音されていた最高幹部会議の肉声を中心に、世界が最も核戦争に近づいた13日間に迫る。
最強の女性判事と呼ばれたルース・ベイダー・ギンズバーグ、通称“RBG”。87歳で亡くなるまで法廷に立ち続けた。公明正大な人柄で、連邦最高裁判事として、性別に基づく不平等に立ち向かう姿は、アメリカの宝と呼ばれた。RBG誕生までには、自由と平等を求めた女性たちの百年にわたる闘いがあった。参政権を求め命がけで抗議した女性、世界一周を目指して空に散った女性パイロット。信念のバトンをつないだ物語である。
「映像は嘘をつく」。AIを駆使したフェイク映像が大統領選挙や戦争の行方すら左右している。映像プロパガンダ戦の始まりは、百年前、ソ連のある若者が日本の漢字の不思議さを知ったことに遡る。部首の組み合わせが別の意味を生む不思議さ。彼の名はエイゼンシュテイン。映画監督となり、映像を組み合わせる革命的な表現手法を編み出した。しかしそれはナチス、アメリカ、日本も含めた、国家的プロパガンダ戦へと広がっていく。
アメリカ同時多発テロの首謀者オサマ・ビンラディンとアメリカの巨大財閥ロックフェラー家との間には数奇な因縁がある。1930年代、ロックフェラー家創業の石油会社がサウジに進出すると、砂漠の国は好景気に沸き、小さな建設会社を急成長させる。ビンラディン建設。その家の17番目の息子は、アメリカを憎悪しテロリストへと変貌する。標的としたワールドトレードセンターは、ロックフェラー家が建設を推し進めたビルだった。
第二次世界大戦時、ナチスのユダヤ人大量虐殺を、チャーチルは「名前のない犯罪」と呼んだ。その悲劇を繰り返さないため、戦後世界は「ジェノサイド」という概念を生み出し、戦争犯罪と認定。ジェノサイドを駆逐する条約に世界が賛同した。しかし条約は現実の前に限界を露呈、悲劇が繰り返される。アフリカ・ルワンダでジェノサイドと闘った現地指揮官も孤立する。なぜジェノサイドを止められないのか? 人類の悲劇と失敗の物語。
1929年10月24日、ウォール街を突如襲った株価大暴落。「暗黒の木曜日」を皮切りに世界は大恐慌に陥り、多くの人生が狂わされた。「ブロードウェイの父」と呼ばれた演出家は破滅、全米に愛された天才作家フィッツジェラルドの人生も転落する。その一方、市場崩壊を見抜いた伝説的な相場師ジョセフ・ケネディはいち早く売り抜いて巨万の富を築き、やがて大統領の父となる。永遠の成長を信じた人々の欲望と破滅の物語。
2022年6月、ドイツの裁判所で101歳の男に禁錮5年の有罪判決が下された。男はかつてナチスの収容所で、ユダヤ人の殺害に関与したが、戦後その経歴を隠し、100歳になるまで逃げ延びていた。「何十年経とうがナチスの罪を許さない」。ナチハンターと呼ばれる人々がいる。名前を変えて逃げのびていた元ナチを見つけ出し、裁判にかける。その執念は「忌まわしい過去は忘れたい」というドイツ国民の空気を次第に変えていく。
1950年、北朝鮮軍が突如韓国に侵攻し朝鮮戦争が勃発した。わずか3日でソウルは陥落、韓国は国土の大半を失う危機に陥った。そして朝鮮半島の戦火は、冷戦のさなか、世界の脅威に発展する。韓国を支援した国連軍の指揮官マッカーサーは、戦局打開のため、核兵器の大量使用を主張。対する北朝鮮・金日成を支援したソ連・スターリン、中国・毛沢東も核の誘惑に取りつかれていく。日本の体制も一変。権力者たちの虚々実々の物語。
アメリカ歴代大統領が恐れた男、エドガー・フーバー。正義の味方FBI長官の隠された顔は、違法な盗聴・監視で大統領のスキャンダルを収集するモンスターだった。赤裸々な女性関係を記した秘密ファイルを保身に利用し、48年間権力の座に君臨した。監視の目は、市民にも向け、危険と見なした団体を徹底的に弾圧した。しかしFBIの違法捜査は、フーバーの死の直前、白日の下にさらされる。自由の国アメリカのうそと秘密の物語。
1945年4月30日、ソ連軍の猛攻を受けてヒトラーが自殺。その日を境にベルリンでは、正と悪が逆転する。連合軍の豊かな配給を受けたユダヤ人が安息の日々を送る一方で、ドイツ人は飢餓に苦しむ。ドイツの支配下にあった国々でも、立場が逆転、ドイツ系住民や兵士は激しい報復を受けた。リンチ、略奪、暴行…。しかし絶望の淵(ふち)からドイツは経済復興を成し遂げていく。荒廃から希望を育んだ、ベルリン戦後ゼロ年の物語。
太平洋戦争において日本は、欧米の植民地支配からアジアを解放するというスローガン「大東亜共栄圏」を掲げる。東南アジアの人々は日本軍を救世主と歓迎した。だが、実情は、日本精神が強要され、日本に協力する指導者を育成するために現地の秀才たちは「南方特別留学生」として日本へ送り込まれた。そして戦後、再び経済進出して来た日本に、元留学生たちは向かい合うことになる。大東亜共栄圏は今のアジアに何を残したのか。
数字にばかりこだわり物事の全体像を見失うことを「マクナマラの誤謬(ごびゅう)」という。この言葉の由来となったのが米国防長官を務めたロバート・マクナマラ。神童と呼ばれたマクナマラはデータ分析を駆使してベトナム戦争に勝利しようとしたが、数値では計れないベトナム人の愛国心やアメリカ市民の反戦感情に目を向けず、300万以上の犠牲者を出す泥沼の戦争を招いた。アメリカを敗北に導いた一人の天才の物語である。
数奇な運命で結ばれた二人の政治家の絵画がオークションにかけられた。イギリス首相チャーチルとドイツ首相ヒトラーである。二人は第一次世界大戦でわずか20キロ離れた前線で戦った。世界恐慌でチャーチルは失脚しヒトラーは首相となるがヒトラーが起こした第二次世界大戦によってチャーチルは首相として復活。ヒトラーからの和平案をチャーチルは拒否し両国の熾(し)烈な戦いが始まる。宿命のライバルともいえるふたりの激突。
暗殺から2023年で60年、今なおアメリカで絶大な人気を誇る第35代大統領ジョン・F・ケネディ。JFK誕生の裏には3人の家族の強力な援護があった。ウォール街の相場師として富を築き、財力でジョンの選挙戦を支えた父ジョセフ。知性と気品で理想の夫婦像を作り上げた妻ジャクリーン。汚れ仕事を引き受け参謀となった弟ロバート。病弱だった読書好きの若者が、伝説的な選挙戦をくぐりぬけ、大統領に上りつめるまでの物語。
PV
アメリカなど11か国が裁判官と検察官を務めた東京裁判は、日本の戦争指導者の責任を追及する様子を世界に発信するため、照明など撮影に万全の体制を整えた法廷で行われた。被告人25人のうち7人に極刑が言い渡された。傍聴していた作家・川端康成は、「劇的な人間の生と死との分かれ目を私は眼前に見て、深く打たれるものがあった」と記している。東条英機、広田弘毅など戦争指導者が裁かれた東京裁判の2年6か月をたどる。
タイタニック号の沈没、ドイツの飛行船ヒンデンブルク号の爆発、583人の犠牲者を出し、航空機史上最悪の事故と呼ばれる「テネリフェの悲劇」、スペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故。未知への挑戦を続ける中で、巨大事故が何度も引き起こされてきた。そして人間は同じ過ちを繰り返さないために原因を究明し、安全を目指す闘いを続けてきた。私たちは巨大事故の悲劇とどのように向き合い、乗り越えようとしてきたのか。
「砂浜には兵士の死体の他は何もなく、眼鏡を探してはい回る従軍牧師がいるだけだった」、これはノルマンディー上陸作戦で兵士として戦った作家サリンジャーの未発表作品の一節。この作戦には15万の兵員が投入され、初めて戦場を経験する者も数多くいた。船の扉が開いた瞬間、ドイツ軍の銃弾が襲う。身を守る物などない中、兵士たちは恐怖を押さえつけ陸地に向け飛び出していく。連合軍を勝利に導いた名もなき人々の犠牲の記録。
ビリー・ホリデイの名曲「奇妙な果実」。奇妙な果実とは、白人に面白半分にリンチされ、木につるされた黒人の遺体のことだった。名曲がつなぐ差別への怒りと悲しみの物語。 許諾が得られなかったため、一部映像を編集して配信します。
「人類史上、最も多くの人を殺した武器」といわれるカラシニコフ銃。80年前、ソ連で密かに生まれたこの銃は、誰でも簡単に扱え、故障知らずで、1丁10ドルから手に入る。それゆえ、世界へ広がった。アメリカが敗れたベトナム戦争でも、アフリカ内戦の無差別殺りくでも、そして繰り返されるテロでも、使われたのはカラシニコフ銃だった。人々の憎しみに取りつき、コントロール不可能なまでに巨大化したモンスターの記録である。
2度にわたり繰り広げられた安保闘争・激動の記録。60年安保闘争は、戦争の記憶がまだ生々しかった時代、若者に大人も加わり国会を取り囲む国民運動となった。映像は、闘争を牽引する若きカリスマを捉えている。全学連委員長・唐牛健太郎、人々は彼を現代の英雄と呼んだ。70年安保闘争では、戦後生まれの学生がゲバ棒と火炎ビンで武装し大学に立てこもる。だが闘争の末路は凄惨な事件を引き起こし、国民の支持を失っていった。
1926年に開通したルート66は、人とモノの大陸横断を可能にし、アメリカのダイナミズムとなる。30年代、巨大な砂嵐に故郷を追われた中西部の人々は、道の終着点・カリフォルニアを目指した。50年代、ファストフード、モーテルなどロードサイドビジネスが生まれ、戦後の繁栄をアメリカ中に行き渡らせた。60年代には、大人たちにNOを叫ぶヒッピーが聖地カリフォルニアに向かった。アメリカの夢と絶望を運んだ道の物語。
ドイツ・ワイマール共和国は、最先端の民主主義国家であった。男女平等の普通選挙、1日8時間労働制、女性の社会進出、ユダヤ人も活躍し“黄金の20年代”が到来する。革命的な芸術学校バウハウスが生まれ、ナイトクラブでは性のタブーも解放された。しかし世界恐慌をきっかけに失業者は激増、手厚い社会保障が皮肉にも国の財政を圧迫、政治は大混乱に陥る。そして人々は民主主義に代わる、強力な指導者の登場を待望していく。
終戦から3週間後の東京を占領軍の兵士が撮影している。広がる焼け跡の向こうに、国会議事堂が見える。誰もが生き延びるために必死だった。焼け跡には闇市が出現、人々は非合法と知りながら、命をつないだ。家族を養うために占領軍兵士に身を売る女性もいた。一方で、東京湾からは、103本の金塊が引き上げられる。日本軍の「隠匿物資」といわれる。戦争に耐え忍んできた人々は怒りに震えた。戦後ゼロ年、東京のルールなき物語。
太平洋戦争は日米のプロパガンダ戦でもあった。アメリカはハリウッドが協力して戦場のリアルな映像で国民を戦争に駆り立てていく。日本はニュース映画を使い銃後の人々を総力戦に巻き込んでいく。またラジオ放送では「東京ローズ」と呼ばれたアナウンサーたちが敵兵の戦意喪失をねらった。戦局が進むと日本は偽りの戦果を伝えアメリカは大量殺りくを正当化していく。国民をあおり不都合な真実を伏せた日米の知られざる戦いの記録。
2001年のアメリカ同時多発テロでは、24人の日本人犠牲者もいた。息子を失ったふたりの父親のその後の人生をたどる。あの日がもたらしたのは憎しみだけではなかった。 許諾が得られなかったため、一部映像を編集して配信します。
1979年、アメリカで月曜日の朝の登校時間を狙った銃乱射事件が起こる。狙撃犯は16歳の少女。犯行動機を「I don’t like Mondays」と答え、社会に衝撃を与えた。ジョン・レノン暗殺(1980)、ブラックマンデー(1987)、地下鉄サリン事件(1995)が起こったのも月曜日だ。ある調査によると、一週間で最も憂うつを感じるのは「月曜日」と答えた人が最も多かった。あなたも月曜日が嫌いですか?
20世紀、東西に分かれた世界は「壁」を築いた。「ベルリンの壁」、朝鮮半島の「38度線」。21世紀に入っても、壁は増え続けている。メキシコからの不法移民をはね返す「国境の壁」、イスラエルとパレスチナを隔てる「分離壁」…。一方で自由を奪う壁に挑む人も数多くいた。白昼堂々、ベルリンの壁を飛び越えた東独の若き警備隊員、壁の向こう側に残した恋人を救うためにトンネルを掘った大学生。壁をめぐる絶望と希望の物語。
80年代後半の日本のバブル期、株式市場の時価総額は600兆円超、一人あたりのGDPはアメリカを抜いた。この時代に大きく業績を拡大させた2人の経営者がいた。ダイエーの中内功(功は〈たくみへん〉に刀)とセゾングループの堤清二。中内は、所有する不動産を担保に借り入れを増やし店舗数を拡大していく。堤は、洗練された商品で新しい消費文化を築く。しかしバブル崩壊後、2人の運命は暗転する。バブルの魅惑と罪の物語。
大戦後、東欧には1500万のドイツ人がいた。ドイツ降伏はその運命を変えた。現地の人々のドイツ人への恨みは暴力となり、住み慣れた土地からは強制追放された。しかしドイツ本国に戻っても彼らの苦しみは終わらなかった。戦争責任を重く受け止める西ドイツでは、彼ら被害者の声はかき消され、東ドイツでは、そもそも語ることが許されなかった。シリーズ「ふたつの敗戦国」、前編はドイツ人の被害者としての側面をみつめる。
終戦間際、満州や朝鮮半島、東南アジアなど海外には、軍人や民間人合わせて660万の日本人がいた。敗戦後、運命は一変する。住みかを追われた人々の流転の人生が始まる。 許諾が得られなかったため、一部映像と音声を編集して配信します。
1951年、サンフランシスコ講和会議で日本の独立を果たした首相・吉田茂。この時の演説原稿は30メートルに及んだ。当初英語で行う予定だった演説を急きょ日本語に変更したからだ。演説を日本語で行うべきだと強く主張したのは白洲次郎。政治家でも官僚でもない民間人の白洲を吉田はGHQとの交渉役に抜擢「従順ならざる唯一の日本人」と恐れられた。吉田の強烈な個性に引っぱられるように日本は敗戦から立ち上がっていった。
毛沢東は、革命家として世界中の若者を熱狂させた一方で、粛清や破滅的な経済政策で数千万の犠牲者を出した希代の独裁者でもあった。中国が経済成長への道をひた走る中で一度は過去の人となったが、死から半世紀が経った今、毛沢東人気が再燃している。それを後押ししたのが、習近平国家主席による毛沢東への再評価だった。毛沢東を英雄と称え、自らをその継承者として重ね合わせている。毛沢東の革命と独裁への道のりを見つめる。
2024年の大統領選挙、トランプ氏は、五大湖周辺の工業地帯・ラストベルトの激戦州を制し勝利した。この地域は、1960年代まで自動車、鉄鋼が栄え、労働者は高い賃金を得て繁栄を謳歌した。しかしその後、日本車などの安い輸入製品に負け、さびついた工業地帯と呼ばれるようになった。国際競争に負けた原因は、皮肉なことに労働者の高い賃金だった。世界にアメリカンドリームを振りまいた地域はなぜさびついてしまったのか。
ドイツでは車のナンバープレートで使用が禁止されているアルファベットの組み合わせがある。「SS」。ホロコーストの実行部隊であった「ナチ親衛隊」の略称である。厳しい入隊基準をクリアしたエリート集団は、全国指導者ヒムラーと右腕「金髪の野獣」と恐れられたハイドリヒによって狂気の集団へと変貌する。隊員たちにとって独裁者ヒトラーの望みに応えることが出世の道だった。今なお追及を受け続ける集団の戦慄の記録である。