大河ドラマ 信長 KING OF ZIPANGU
[お試し] 第12回 尾張統一
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信長は、弟・信行の死を悲しむ母・るいを清洲城に呼び、また、嫡男を産んだしのも正室として城に迎えます。怒って離縁を迫る帰蝶(きちょう)に、2人とも大事な妻だとはぐらかす信長。美濃の斎藤義竜が尾張上四郡の守護代・織田信賢(のぶかた)と手を結び攻めてきますが、信長の大勝利に終わります。父の夢でもあった尾張統一を喜ぶ信長に、随天は上洛(じょうらく)し、将軍に尾張守護職の役目を頂くようにと進言します。
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本編
天正6年(1578)、安土城が次第に姿を現し、信長に天守閣を見せられた重臣たちは、その豪華さに驚きます。上杉謙信の死で背後の脅威が消えた信長は、石山本願寺、丹後、播磨と西へ攻めます。ところが、摂津の国主・荒木村重が本願寺側に寝返ります。信長は村重配下の城主たちが村重に続かないように、バテレン大名の高槻城主・高山右近と父の飛騨守を脅して味方につけます。そして、村重のこもる有岡城へ総攻撃をかけました。
天正7年(1579)、安土の信長が撃たれて死んだという噂(うわさ)が岐阜城下に流れ、池田恒興(つねおき)が安土に向かい、信長の無事を確認します。春、母・るい、随天、おなべ、お市たちが安土城に移ってきました。お市は、小谷(おだに)城から見る景色に似たびわ湖を眺め、涙を流していました。ある日、徳川家に嫁いだ娘の五徳姫から信長に、夫・信康と武田勝頼が家康に内密で通じているという手紙が届きます。
徳川信康が武田勝頼の弟・仁科盛信にあてた書状が信長の目に入りました。娘・五徳姫からの手紙に探りを入れさせた結果で、信長は家康に警告します。家康は嫡男・信康の潔白を信じますが、正室・築山殿と嫁・五徳姫の確執、信康と五徳姫の夫婦仲の悪化が招いた結果です。進退きわまった家康は信長を納得させるため、信康を二俣城に幽閉し、自害に追い込みます。さらに、家臣に築山殿を殺害させます。
天正7年(1579)、安土城の完成が近づきます。信長は、自分をまつる総見寺のご神体にする丸い石を見つめていました。そこへ丹波と丹後を平定した明智光秀が報告に訪れます。しかし、光秀は功績を上げ続けることに疲れていました。林通勝(みちかつ)は総見寺についてのお触れ書きを読み、信長に諫言(かんげん)しますが、家老職を解かれ岐阜へ追放されます。年末には荒木村重の有岡城が落ち、羽柴秀吉が播磨を平定しました。
勅命により本願寺と和睦した信長は、祝宴の席で本願寺作戦遅延の責めを負わせ、佐久間信盛を追放します。信長の変わりように一同はがく然とします。一方、信長は随天に総見寺建設の真の理由は、参拝させることで人を集め、城下町と門前町を重ねた都市政策であると語ります。ある日、フロイスがヴァリニャーノと安土を訪れました。信長は、ヴァリニャーノの見せた地球儀に強く関心を示し、地球が丸いことを知らされます。
信長が総見寺の本尊として人々に拝むよう命じた本当の理由を知るはずのないお市が、人集めの方便だと言ったことに信長は驚きます。完成した安土山神学校(セミナリオ)では、ヴァリニャーノたちが授業を開始。越前に赴くことが決まったフロイスは信長と酒を酌み交わします。信長は、全国平定後の海外進出への夢を語ります。何を信じるのかとのフロイスの問いに、「信長を信じてこそ新しい世が来ると思わせたい」と答えます。
明智光秀は山陰道への進軍の途中、細川忠興に嫁いだ娘・お玉を丹後宮津に訪ねます。安土を去るヴァリニャーノがあいさつに訪れ、信長は彼の提言による青年クリスチャンのヨーロッパ派遣の協力を約束します。その後、妻・帰蝶(きちょう)の安土への帰参を進言に来た今井宗久に、信長は国際貿易への夢を語ります。天正10年(1582)、信長は武田の残党一掃を命じ、甲斐へ出陣。武田勝頼は甲斐の山中で自害します。
武田の残党を滅ぼした信長は明智光秀をねぎらい、しばしの休息をとらせますが、坂本城に帰った光秀をすぐ呼び戻し、安土を訪れる徳川家康の接待役を命じます。信長は妻子を見殺しにした家康を気遣っていました。そこに、秀吉から援軍の要請があり、信長は光秀に秀吉の援軍を命じます。さらに、領国の丹後と近江を返還して敵国の石見・出雲を奪い取るよう言います。光秀は疲れを覚え、信長がいなくなることを初めて意識しました。
母・るいにいとまごいをした信長は、随天を伴い毛利討伐に出陣し、京の本能寺へ入ります。京には嫡男・信忠の軍勢だけで、主力部隊は摂津に集めています。わずかな小姓と侍女が付き従う信長は丸腰同然。しかも明智光秀は京まで半日の亀山にいました。敵は本能寺にあり!光秀がついに謀反を決意し、京へ出陣します。天正10年(1582)6月2日早朝、蘭丸・坊丸らの奮戦もむなしく、信長は随天とともに最期の時を迎えます。
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天正6年(1578)、安土城が次第に姿を現し、信長に天守閣を見せられた重臣たちは、その豪華さに驚きます。上杉謙信の死で背後の脅威が消えた信長は、石山本願寺、丹後、播磨と西へ攻めます。ところが、摂津の国主・荒木村重が本願寺側に寝返ります。信長は村重配下の城主たちが村重に続かないように、バテレン大名の高槻城主・高山右近と父の飛騨守を脅して味方につけます。そして、村重のこもる有岡城へ総攻撃をかけました。
天正7年(1579)、安土の信長が撃たれて死んだという噂(うわさ)が岐阜城下に流れ、池田恒興(つねおき)が安土に向かい、信長の無事を確認します。春、母・るい、随天、おなべ、お市たちが安土城に移ってきました。お市は、小谷(おだに)城から見る景色に似たびわ湖を眺め、涙を流していました。ある日、徳川家に嫁いだ娘の五徳姫から信長に、夫・信康と武田勝頼が家康に内密で通じているという手紙が届きます。
徳川信康が武田勝頼の弟・仁科盛信にあてた書状が信長の目に入りました。娘・五徳姫からの手紙に探りを入れさせた結果で、信長は家康に警告します。家康は嫡男・信康の潔白を信じますが、正室・築山殿と嫁・五徳姫の確執、信康と五徳姫の夫婦仲の悪化が招いた結果です。進退きわまった家康は信長を納得させるため、信康を二俣城に幽閉し、自害に追い込みます。さらに、家臣に築山殿を殺害させます。
天正7年(1579)、安土城の完成が近づきます。信長は、自分をまつる総見寺のご神体にする丸い石を見つめていました。そこへ丹波と丹後を平定した明智光秀が報告に訪れます。しかし、光秀は功績を上げ続けることに疲れていました。林通勝(みちかつ)は総見寺についてのお触れ書きを読み、信長に諫言(かんげん)しますが、家老職を解かれ岐阜へ追放されます。年末には荒木村重の有岡城が落ち、羽柴秀吉が播磨を平定しました。
勅命により本願寺と和睦した信長は、祝宴の席で本願寺作戦遅延の責めを負わせ、佐久間信盛を追放します。信長の変わりように一同はがく然とします。一方、信長は随天に総見寺建設の真の理由は、参拝させることで人を集め、城下町と門前町を重ねた都市政策であると語ります。ある日、フロイスがヴァリニャーノと安土を訪れました。信長は、ヴァリニャーノの見せた地球儀に強く関心を示し、地球が丸いことを知らされます。
信長が総見寺の本尊として人々に拝むよう命じた本当の理由を知るはずのないお市が、人集めの方便だと言ったことに信長は驚きます。完成した安土山神学校(セミナリオ)では、ヴァリニャーノたちが授業を開始。越前に赴くことが決まったフロイスは信長と酒を酌み交わします。信長は、全国平定後の海外進出への夢を語ります。何を信じるのかとのフロイスの問いに、「信長を信じてこそ新しい世が来ると思わせたい」と答えます。
明智光秀は山陰道への進軍の途中、細川忠興に嫁いだ娘・お玉を丹後宮津に訪ねます。安土を去るヴァリニャーノがあいさつに訪れ、信長は彼の提言による青年クリスチャンのヨーロッパ派遣の協力を約束します。その後、妻・帰蝶(きちょう)の安土への帰参を進言に来た今井宗久に、信長は国際貿易への夢を語ります。天正10年(1582)、信長は武田の残党一掃を命じ、甲斐へ出陣。武田勝頼は甲斐の山中で自害します。
武田の残党を滅ぼした信長は明智光秀をねぎらい、しばしの休息をとらせますが、坂本城に帰った光秀をすぐ呼び戻し、安土を訪れる徳川家康の接待役を命じます。信長は妻子を見殺しにした家康を気遣っていました。そこに、秀吉から援軍の要請があり、信長は光秀に秀吉の援軍を命じます。さらに、領国の丹後と近江を返還して敵国の石見・出雲を奪い取るよう言います。光秀は疲れを覚え、信長がいなくなることを初めて意識しました。
母・るいにいとまごいをした信長は、随天を伴い毛利討伐に出陣し、京の本能寺へ入ります。京には嫡男・信忠の軍勢だけで、主力部隊は摂津に集めています。わずかな小姓と侍女が付き従う信長は丸腰同然。しかも明智光秀は京まで半日の亀山にいました。敵は本能寺にあり!光秀がついに謀反を決意し、京へ出陣します。天正10年(1582)6月2日早朝、蘭丸・坊丸らの奮戦もむなしく、信長は随天とともに最期の時を迎えます。