1920 年代のパリで、「乳白色の下地」の技法で成功した画家、藤田嗣治。その彼が、なぜ「アッツ島玉砕」等の戦争画を描いたのかに迫った評伝劇!劇団印象「国家と芸術家シリーズ」第2弾!
エコール・ド・パリの寵児と言われ、1920 年代に大成功した藤田嗣治。国際経験も豊富な彼が、なぜ日本型ファシズムに乗っかり戦争画を描くに至ったのか? 太平洋戦争時の藤田がどんな野心を持っていたのか?に迫る。
当時、日本の画家たちの全てではないにしろ多くが、自ら従軍して国威発揚の絵を描いていた。社会の役に立つ絵を描きたい、という若い画家たちの素朴な思いが、やがて、日本の画壇全体で戦争画を描くという波を作り上げたのだ。藤田は、その波に後から乗った画家だったが、誰よりも華麗だった。誰よりも鮮やかに波に乗った。
国民の熱狂を作り出すことに加担したという意味で、藤田には罪があった。しかし、現代の視点で彼の戦争画を見ると、単純な戦意昂揚を狙っただけの絵ではないとも感じる。彼の戦争画は、人間の業としての戦争を、人類の「闇」を捉えようとしている。だから我々も、目を凝らして、その「闇」を掴もうと手を伸ばし、この作品を創作した。