「100分de名著」の「[お試し] “谷川俊太郎詩集” (2)「生活」と「人生」のはざまで」をフル動画で配信中!
「書けないのなら/書けないと書かねばならない」等と苦しさがことばの端々からにじみ出てくる一方で、「一番安定して幸せな時期」と谷川俊太郎自身が語っているとおり、ことばの力によってその苦しさを昇華し、自分の糧にしていった模索も見えてくる。第二回は、「ここ」「ほほえみ」「木」といった詩を読み解くことで「生活」にのみ埋もれるのではなく、そこから糧を見いだし、新たな表現をすくい上げていこうという試みを追う。
『100分de名著』の動画一覧
本編
ギリシャの元財務大臣の父親が、十代の娘に向けてシンプルで心に響く言葉で経済の本質を語り、経済にまつわるさまざまな謎を解く糸口を与えてくれるのが「父が娘に語る経済の話。」だ。経済思想史家の中山智香子さんの指南で、経済は専門家だけのものだけでなく皆が向き合わなければならない問題だと考える姿勢を学びながら、私たち一人ひとりにとっての「等身大の経済学」を学んでいく。
「竹取物語」のディテールを読み解いていくと、びっくりするようなエピソードが満載。「物語創作のヒント」「フェミニズム視点」「生きづらさの相対化」等々のテーマが読み解けるさまざまな人間ドラマが巧みに織り込まれているのだ。この作品をSFととらえると、その楽しみ方が何倍にもなるという木ノ下裕一さんに、古典作品のとてつもない豊かさを教えてもらう。
2022年は、水木しげる生誕100周年のアニバーサリーイヤー。戦争の記憶が人々から薄れ、資本主義に疲れ始めた現代人に、今こそ必要なのは水木しげるの人生哲学である。番組では、さまざまな分野の水木しげるの熱烈なファンがスタジオに集まり、「自分がおすすめする水木しげる」の名著をプレゼン。文学者、俳優、漫画家、宗教学者などさまざまな視点から「水木しげる」の魅力とその偉大な思想を読み解いていく。
「神謡集」に出てくる「カムイ」は「神」と訳されるが通常思い描く「神」とはまるで違う。アイヌにとって「カムイ」とは、動物、植物、鉱物など自然界のほぼすべてのものを指す。また人間が作った道具や衣服、住まいなども「カムイ」だ。そして「カムイ」は超越的な存在ではなく人間と全く対等にやりとりする。あらゆる存在がつながり、支え合い、時に罰し合う有機的な世界観がアイヌの豊かな文化を支えているのだ。
「神謡集」の目次にも記載され「トワトワト」「カッパ レウレウ カッパ」等々の言葉がある「サケヘ」。それぞれのカムイの特徴や鳴き声などを表す擬声語のことも多い。「折り節」とも呼ばれるが意味は不明だ。だが、謡う中で、リフレインされ、リズムを整えて神謡の芸術性を高めていく働きももっている。第二回は、語られ耳で聴く「アイヌ神謡集」の魅力を浮き彫りにし、口承文芸の豊かな可能性を明らかにしていく。
「銀の滴」に登場するフクロウは、中盤で貧乏な家の子が放った矢で射られるが、その矢をしっかりつかんだと描かれている。ところが、次のシーンでは死者としてまつられている。なぜか。それは魂の世界と現実世界が並行して描かれているアイヌの世界観ならではの描写だという。更には、知里幸恵の日本語訳には、そうした世界観が伝わるよう工夫がこらされているという。第三回は、最も有名な「銀の滴」の深層を読み解いていく。
金田一京助との交流によって知里幸恵はアイヌと和人たちとの間の懸け橋になったという美しい物語が一方にある。だが金田一はアイヌに対しては同化推進者。「序」を深く読み解くと金田一のこの姿勢に対して抵抗しようとする知里幸恵の姿が浮かび上る。第四回は、近代化とアイヌ文化保存という矛盾に引き裂かれつつも未来に希望を託した知里幸恵の人生をたどることで、本当の意味で固有の文化を守るとはどういうことかを深く考える。
折口は、南方諸島の祭祀などに見られる、他界から時を定めてやってくる存在を「まれびと」と呼び、日本における神の原初的形態だと考えた。人々はまれびとを畏怖をもって迎え饗応し、まれびとは豊作などを予言して他界へ帰っていく。この構造が、茶道や華道などの芸道や「おもてなし」に象徴される日本文化の隅々に影響を及ぼしているというのだ。第一回は、折口の理論を通して、日本文化の基層にあるものに迫っていく。
まれびとからもたらされた「呪言」が一定のリズムや形式をもち変化していく中で、和歌や物語の原型が形作られていく。その際に「うたう」「かたる」という二つの方向性があり、それぞれが叙情詩、叙事詩に発展していくという。第二回は、「まれびと」についての考察を発展させた折口の洞察から、国文学発生の現場に迫り、和歌や古典の物語が私たちにとってどんな存在なのかを明らかにしていく。
まれびとを模倣する行為「もどき」は日常性を超えた異世界性を帯びているが故に聖性をもち、その裏返しとして賤性をも合わせもつ。諸国を流浪する念仏踊りの聖や琵琶法師、門付け芸人らは、聖人的な側面をもちつつも「河原乞食」とも蔑称され疎外されてきた。こうした聖と賤が入り混じったダイナミズムこそが日本の芸能の特質なのだ。第三回では、現代の芸能文化や風俗にまで深く影響が及んでいる「聖と賤のダイナミズム」に迫る。
細分化した近代的学問では人間の心性を探ることはできないと真っ向から批判する折口。文献のみに頼る研究だけではなく、身近な年中行事や祭礼を掘り下げ古代人の心を肌で実感し思考することの大切さを訴えた。その背景には、私たちの心が深いところで古代人と繋がっているという「実感」こそが、私たちの心を豊かにしてくれるという信念があった。第四回は、私たちの生活にしみとおった文化の基層としての「民俗」に迫っていく。
中井久夫が見いだしてきた統合失調症回復期に露呈する治癒力、社会との折り合いのつけ方といった問題は、健康な人、病者といった違いに関わらず、誰もがこの世界で生きていく根本にかかわる本質的な問題につながることに気づかせてくれる。第一回は、中井久夫の集大成ともいえる「最終講義」を読み解き、「人間とは何か」「心とは何か」「人間が社会生活を営む意味とは?」といった普遍的なテーマを考えていく。
大航海時代、孤独な決断によって数々の困難を冷徹に乗り越える船長には天候や空気などの微細な変化・兆候を読み取り次に何が起こるかを予測する能力が必要だった。その能力の基盤は統合失調症の症例と酷似する。かつて人類は誰しもその能力をもっていた。激変する人類史の中で不必要になったその能力が抑圧されることでこの病が生まれたのではないか。第二回は、「分裂病と人類」を読み解くことで病の根源的な意味に迫っていく。
あるひとりの個人に一回きりしか現れない症状「個人症候群」。そのケースでは個人が土着する文脈にこそ治療につながる鍵がある。祈祷や民間療法がはるかに効果を発揮することすらあるのだ。この視点は普遍的な基準のみに依存する近代精神医学への大きなアンチテーゼとなった。第三回は、心のケアにおいて、個人を支えている文化がいかに重要かを「治療文化論」に学んでいく。
戦争は「過程」であり、平和は「状態」であるという精神科医としての経験を踏まえた鋭い論。それは、語りやすい戦争に対して平和を維持していくための言説には並々ならぬ努力が必要だということを深く示唆してくれる。第四回は、精神科医としての透徹した洞察を踏まえて、全く新しい角度から「戦争と平和」の様相を照らし出す。更に日本にとって激動の時代だった「昭和」という時代がどんなものだったかを克明に浮かび上がらせる。
古今東西の名著では女性差別の状況を予見したような洞察が数多くなされている。性暴力やセクハラといった問題に直面する私たちは、名著の中にその知恵を求めていくことが今、求められている。さまざまな分野の専門家が集結。「自分がおすすめするフェミニズム」の名著をプレゼン。教育学者、社会学者、翻訳家、歴史学者などのさまざまな視点から「フェミニズムをどう活かしていくか」を探りながら難解な名著を易しく読み解く。
ハンセン病療養施設に入所した瞬間、主人公の尾田は絶望的な状況に直面する。看護師たちから向けられる差別的な視線、金銭や衣服を取り上げられるという社会からの隔絶。そして自らの未来を見せつけられるような重症患者たちの苛烈な症状。そんな中で、彼は、自らもハンセン病患者であるにもかかわらず、他の患者たちをさげすんでいる自分に気づき愕然とする。第一回は差別の視線に引き裂かれる主人公の葛藤の意味を深く読み解く。
尾田はなぜか献身的に介護を続ける佐柄木に嫌悪を感じる。夜になり尾田は庭で自殺を試みて失敗するが、その一部始終を佐柄木にみられてしまう。佐柄木は、そんな尾田に「新しい出発をしましょう。それには、まずらいに成り切ることが必要だ」という意味深長な言葉を投げかけるのだった。第二回は、佐柄木という人物が投げかける問いによって「いのちそのもの」に向き合い始める主人公・尾田の心境の変化を見つめる。
絶望的状況を見つめる尾田。その一方で佐柄木は何かを書き続けていた。それは一編の小説。佐柄木は今までになかった人間像を描くといい「新しい思想、新しい眼を持つ時、(中略)再び人間として生き復るのです」と尾田に語りかける。やがて散歩に出かける二人。朝の光の中でこの一夜のことを振り返り「生きてみることだ」と尾田はつぶやくのだった。第三回は、主人公・尾田の再生への旅立ちを見つめる。
北條は世間からはハンセン病作家としてセンセーショナルな受け取られ方しかされない。さらに彼は二つの危機に直面。症状の進行により将来書き続けられなくなるのではないかという危機と、同じ患者たちから反発を受けていたという危機だ。だがその危機の自覚に導かれ、患者の「断種問題」に踏み込んだ傑作が結実する。第四回は、さまざまな危機に直面しながらも、その中で生きる意味を求め続けた北條の姿に迫る。