「100分de名著」の「[お試し] 司馬遼太郎スペシャル 第2回「“幕末”に学ぶリーダーの条件」」をフル動画で配信中!
村の医師から始まり、時代からみいられたように官軍の総司令官、ついには明治政府の兵部大輔にまでのぼりつめた大村益次郎の生き方から理想のリーダーの在り方を読み解く。 ※司馬遼太郎の「遼」の字は、本来、「しんにょうの点がふたつ」です。
『100分de名著』の動画一覧
本編
「古今和歌集」の歌人たちは、まだ訪れる前の時期に、どうにか「春夏秋冬」を見つけようとする。「古今和歌集」では何よりも季節の「兆し」が大事にされるのだ。当時の人たちにとって、季節は探し出したり予感したりするものだったのである。第一回は、「古今和歌集」成立の背景にも迫りながら、季節の移ろいを見事に写し出した和歌の魅力を深く味わっていく。
恋についての強烈な情念を詠んだ歌も数多い「古今和歌集」。渡辺泰明さんによれば、「恋」と「恋愛」は異なる。「恋愛」は男女二人いれば完結するが「恋」はもっと大きな世界をもっている。「恋ひ」とは「乞ひ」であり全身で求め願うもの。時に社会すら動かすこともある。第二回は、「恋」を詠んだ和歌にスポットを当て、平安時代の恋がどのようなものか、またどのような社会的な意味を持っていたのかに迫っていく。
死別の悲しみを歌った「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」。桜が墨染めに咲くことはありえない。不可能なことを望むのはそれだけ悲しみが深いから。このように「古今集」におさめられた和歌は、人の生死、別離の哀惜、愛する人への祈りなど、人生そのものを深く描く。第三回は、人生の折々に読まれた和歌をピックアップし、人の世の不思議さに迫っていく。
小野小町は「あはれなるようにて、つよからず」とも評されるが「言の葉にすれば哀れというただひと言なのに、このひと言ゆえもの思いの多いこの世を捨てることもならず、ほだしのごとく人をつなぎ留め。心解き放つこともゆるさない」といった情念を詠んだ小町の歌には、驚くほどの「強さ」がある。第四回は、高樹のぶ子さんをゲストに招き、小野小町をはじめ名だたる女性歌人たちの歌に秘められた「強さの秘密」に迫っていく。
兆民が問答形式を選んだ背景には、当時の日本語の問題があった。叙述的な文章で語る日本語はまだ未成熟だったため、国家や政治についての思想的議論を行うのが難しかったのだ。そこで兆民は、人物が直に語る言葉=話し言葉という形式で、これらの問題を論じようと考えたのだ。第一回は、なぜこの著作が「問答形式」というスタイルで書かれることになったのか、その理由を探りながら、兆民が生み出した問答形式の魅力に迫る。
平和主義を唱える洋学紳士の論は、理想は高いが実現困難にみえる。一方、近代国家体制が整う前に資源の豊かな大陸に進出し権益を確保することが列強に対抗するための唯一の方法だと説く豪傑君の主張は、欧米諸国のアジア進出を目の当たりにしていた当時は優勢な思潮だった。それぞれの意見は、兆民の思想とは異なるものの論理は首尾一貫。兆民は論理を徹底化することで、それぞれの意見のよい面、悪い面を浮き彫りにしようとした。
南海先生によれば、現実は複雑怪奇なもので洋学紳士のいうように理想状態へは一本調子で進まない。かといって豪傑君の主張も政治的手品にすぎないとして両者を批判する。彼の主張は「帝国憲法下で与えられた恩賜的民権を活用して立憲制度を確立し、平和外交、専守防衛を旨とした国民軍を創設する」というもので、対立意見を止揚する。第三回は、理想を実現するために必要な、真の意味での「現実主義」とは何かを深く考えていく。
兆民は晩年政治活動に繰り返し挫折する。その後実業を志すも失敗。更には今までの行動とは矛盾するような政治運動にも足を踏み入れる。紆余曲折を経てたどり着いた最晩年の著作「続一年有半」には、民主主義を実現するためにはゼロから哲学を立ち上げ直さなければならないという兆民の深い思いが込められている。だが、病いによる衰弱により途中で破綻した。第四回は、彼が追い求めた理想的な社会のあり方を浮き彫りにしていく。
西欧哲学が唱えてきた「基礎づけ主義」「本質主義」は、価値感が多様化した現代にあっては百害あって一利なしと批判するローティ。あらゆる知がそれぞれの地域や時代によって育まれた「偶然的なもの」であるという事実を直視し、そこから哲学の新たな役割を創り出さなければならないと主張するのだ。多様な価値観がせめぎあう社会の中で、歪んだ「語り」や「言説」に治療的に働きかけるという哲学の新たな役割に迫っていく。
ローティは、公私の区別こそが民主主義の基盤となると主張し「バザールとクラブ」というモデルを提示。私的な仲間内の「クラブ」ではいかなる奇抜な趣味、異常な趣向をもっていても同好の士の間で共有されるが、そこから一歩外へ出ると自分の基準からは許しがたい価値観の人々も交錯する「バザール」が広がると考える。「バザール」内では公共的な規範やマナーが重視されるべきでそこを整備することこそ哲学の役割だとするのだ。
「理性をもつ存在こそ人間」という近代哲学のロジックは「理性をもたなければそれは人間ではない」というロジックにたやすくすり替えられる。ルワンダでは敵対する部族を「ゴキブリ」「蛇」と名指さすことで虐殺のハードルが著しく下げられ非道な殺戮(りく)が横行した。「虐殺の言語ゲーム」として分析されるこうした事例を、ローティは「残酷さの回避」という新たな概念によって抑止しようとする。ローティの処方箋に迫る。
「トランプ現象」とは、マイノリティーを救うはずの「アイデンティティーの政治」が逆用される現象といえる。こうした歪みを是正するため、ローティは、文学やルポルタージュを使って他者への共感能力を育て「われわれ」という意識を拡張し続けるという処方箋を提示する。第四回は、こうした問題に対して、哲学はどのような処方箋を用意できるのか、ローティが理想として掲げる「リベラルな社会」とはどのようなものなのかを探る。
さまざまな困難にぶつかりながらも、トロイア発掘の夢を抱き続け、驚異的努力で十数か国語を身につけていくシュリーマン。私財を投げ打ち、とうとうその夢を実現するのだった。第一回は、あくなき学びの精神が持続できた理由とは何か? そして、学業にあっても仕事にあっても、創造的に学び続けていく意味とは何かを「古代への情熱」を通して考えいく。
一節一節が心に響く、松下幸之助の珠玉の言葉。「仕事をより向上させるために」「事業をよりよく伸ばすために」「みずから決断を下すときに」等々あらゆる若者がぶつかるであろう場面で、名経営者ならではの実践的な知恵がひらめく。第二回は、名著「道をひらく」を通して、仕事に悩める若者たちに仕事の原点を学んでもらう。
いろいろな出来事を通して、少しずつ関係性を深めていく主人公アンナとマーニー。だがマーニーはある日突然、姿を消す。そこには大きな秘密があった。生きづらさを抱える若者が、人々との「つながり」の中で見いだす生きる意味とはなにか?
さまざまな困難にぶつかったとき、何かを感じる力がさびついてしまったとき「詩の言葉」は自分の人生を支えてくれる…そんなことを感じさせてくれるのが石垣りんの詩だ。家と職場、生活と仕事の描写のうちに根源的な力強さを潜ませた彼女の詩から、私たちにとって「詩とは何か」「言葉の力」とは何かを学び直す。
フロイトは神経症と呼ばれる心の原因が「無意識」にあることを見いだし、精神分析という新たな治療実践を発明する。同時に、フロイトは自らの夢を素材とする「自己分析」を行うことで、無意識を解明するための「王道」としての夢分析の方法を確立し、『夢判断』においてその理論を体系化した。第一回は、『夢判断』でフロイトが確立した理論の骨格に迫っていく。
夢は、日々の生活で得られるさまざまな印象を素材として利用しながら、願望充足を求める無意識の思考すなわち「潜在思考」を加工し、夢の表面的な内容である「顕在内容」をつむぎ出す。こうした「夢作業」を支える複合的なメカニズムを「圧縮」「移動」「視覚化」「象徴表現」「二次加工」として分類し実例を説明。これはそのまま、無意識の論理の探求でもある。第二回は、フロイトが明かした「無意識の論理」とは何かに迫る。
「エディプス・コンプレックス」はフロイトの偉大な発見、彼はこれを無意識的な「心の生活」の中核に位置づけた。これにより彼は無意識における「愛」と「セクシュアリティー」の重要性を明らかにする。そもそも、彼が発明した精神分析は、患者が分析家に抱く「愛」を動的な原理として活用するもの。なぜなら、神経症は、幼児期の愛情生活の破綻に起源をもつからだ。第三回は「エディプス・コンプレックス」とは何かを解明する。
フロイトは「快原理」「現実原理」という二つのプロセスから、より克明に「心の中の葛藤」を説明していく。更に晩年、彼は「生の欲動」と「死の欲動」を対立させる欲動二元論の導入によって、それまで説明できなかった「自死」「(他者への)暴力」「(アルコールや薬物への)依存」を解明する手がかりを得た。第四回は「夢判断」後半で展開される理論と、晩年のフロイト思想の根幹に迫ることで、彼の理論の深い意味を明かす。