100分de名著

ニーチェ“ツァラトゥストラ”第2回「“神の死”から“超人”へ」

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あらすじ

ニーチェは、神への信仰を「弱者のルサンチマン」として切り捨てた。さらに「神は死んだ」というコトバで、キリスト教的な価値観が崩壊していることを人々に知らせようとした。「神の死」の先にあるもの、それは軸を失い、自暴自棄になった無気力状態「ニヒリズム」だ。ニーチェがニヒリズムを乗り越える方法として説いたのが「超人」だ。ルサンチマンやニヒリズムを克服し、常に創造的に生きる「超人」とは何か。その思想に迫る。

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『100分de名著』の動画一覧

本編

モンゴメリ“赤毛のアン” 第1回「想像力の翼を広げて」

モンゴメリ“赤毛のアン” 第1回「想像力の翼を広げて」

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赤毛の少女アン・シャーリー。彼女の手にかかれば、何の変哲もない風景もたちまち宝物に変わってしまう。「歓喜の白路」「輝く湖水」などなど。見慣れたものや場所に、想像力ですてきな名前を与えることで、そこは感動の場となる。最初はあぜんとしていた周囲の人間もいつしか感化され、成長していくのだ。第1回は、想像力の翼を広げて世界を新鮮なものに変えていくアンの姿を通して、人間にとっての想像力の大切さを考える。
モンゴメリ“赤毛のアン” 第2回「異なる価値を認め合う」

モンゴメリ“赤毛のアン” 第2回「異なる価値を認め合う」

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アンの大きなコンプレックス「赤毛」。しかしやがてすらりとしたアンの肢体を引き立てる赤褐色になっていく。長所と短所は裏腹なのだ。登場人物たちは誰もがどこかしら欠点をもっている。作者はそんな欠点に対して優しい。それぞれの違いを認め合い尊敬しあう生き方を最終的に描いていくのだ。第2回は、欠点に向き合って生きる人々の姿を通して、異なる個性というものをどのように育み、尊重していけばよいのかを考えていく。
モンゴメリ“赤毛のアン” 第3回「“ひたむきさ”が運命を変える」

モンゴメリ“赤毛のアン” 第3回「“ひたむきさ”が運命を変える」

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ひょんなことからミス・バリーを激怒させるアンたち。アンはもちまえの「ひたむきさ」で心からの謝罪を行い、逆に深い信頼を勝ちとる。アンは、いかなるときもこの「行動力」と「ひたむきさ」で「偶然の出会い」や「幸運」を自らのものとして運命を切り開いていく。第3回は、アンの「ひたむきな行動」を通して、偶然の出会いのかけがえのなさや、それに気づき生かしていくことで人生を切り開いていく、豊かな知恵を学んでいく。
モンゴメリ“赤毛のアン” 第4回「宝物は足もとにある!」(最終回)

モンゴメリ“赤毛のアン” 第4回「宝物は足もとにある!」(最終回)

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たび重なる不幸に対してアンがくだした決断は、大学に進学するという夢をあきらめること。地元で教師になることで目が不自由になったマリラを支え、グリーンゲーブルスを守っていくという決断だった。それはあきらめでありながら限りないすがすがしさに満ちている。茂木さんは、それを、与えられた使命を受けとめる「肯定的なあきらめ」だという。第4回は、アンの姿を通して、足元に潜んでいる宝物に気づく方法について考える。
スピノザ“エチカ” 第1回「善悪」

スピノザ“エチカ” 第1回「善悪」

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「エチカ」の大きなテーマは、生きていく上で善と悪の区別をどうするかという問題だ。たとえば音楽は、人によって善くも悪くも働くことがある。すべては組み合わせ次第であり、そのもの自体に善悪はない。その視点から善悪を再定義すると、その人の活動能力を増大させるものが善であり、減少させるものが悪だととらえることができる。第1回は、スピノザが再定義した善と悪の見方から、私たちの行為の意味を捉えなおしてみる。
スピノザ“エチカ” 第2回「本質」

スピノザ“エチカ” 第2回「本質」

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古来ものごとの本質は「形」とされてきた。しかし、スピノザは、本質を「力」とみることでこれまでとは違った見方を提示する。人間もそうした視点でとらえてみると、決められた本質を目指すのではなく、それぞれの特性にあった「力」ののばし方を考えるべきだという発想に変わっていく。第2回は、あらかじめ固定された「形」ではなく、それぞれの環境で独自にのばしうる「力」として本質をとらえるスピノザの人間観に迫る。
スピノザ“エチカ” 第3回「自由」

スピノザ“エチカ” 第3回「自由」

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人間が自由になるとは、何の制約もなくなることではなくその条件にうまく沿って生きることで活動能力を増大させることだと考えるスピノザは、「自由意志」をも否定する。私たちが一つの行為を選ぶとき、実際には非常に複雑な要因がからまっているにもかかわらず、自由意志が唯一無二の原因で選んでいると単純化してとらえてしまっているという。第3回は、「自由」や「意志」の本来の意味を、スピノザの視点から照らし出す。
スピノザ“エチカ” 第4回「真理」(最終回)

スピノザ“エチカ” 第4回「真理」(最終回)

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私たちは真理であるかどうかをどう判定すればよいのか。スピノザが提示するのは、数値やデータではなく、「体験」としての認識。他者と共有できなくても、体験自体が明々白々と真実性を語るような知のあり方が、科学の一方で、確かにありうるという。第4回は、近代が切り捨ててきた「体験」という知のあり方をスピノザにならって提示し、あらゆるものが数値化、マニュアル化する現代、もうひとつの思考のあり方の可能性を考える。
オルテガ“大衆の反逆” 第1回「大衆の時代」

オルテガ“大衆の反逆” 第1回「大衆の時代」

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大衆は「みんなと同じ」だと感じることに苦痛を覚えないどころかそれを快楽として生きている存在だと分析するオルテガ。彼らは急激な産業化や大量消費社会の波に洗われ、みずからのコミュニティーや足場となる場所を見失い、根なし草のように浮遊を続ける。他者の動向のみに細心の注意を払わずにはいられない大衆は、世界の複雑さや困難さに耐えられず、やがて自分とは異なる他者を排除し始めるという。大衆社会の本質を考察する。
オルテガ“大衆の反逆” 第2回「リベラルであること」

オルテガ“大衆の反逆” 第2回「リベラルであること」

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オルテガは、大衆化に抗して、歴史的な所産である自由主義(リベラリズム)を擁護する。その本質は、野放図に自由だけを追求するものではない。そこには「異なる他者への寛容」が含意されている。多数派が少数派を認め、その声に注意深く耳を傾けること。「敵とともに共存する決意」にこそリベラリズムの本質があり、その意志こそが歴史を背負った人間の美しさだというのだ。オルテガの思想から大衆社会への処方箋を読み解く。
オルテガ“大衆の反逆” 第3回「死者の民主主義」

オルテガ“大衆の反逆” 第3回「死者の民主主義」

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過去や伝統から切り離された民主主義は人々の欲望のみを暴走させる危険があると警告するオルテガは、現在の社会や秩序が、先人たちの長い年月をかけた営為の上に成り立っていることに気づくべきだという。数知れぬ無名の死者たちが時に命を懸けて獲得し守ってきた諸権利。死者たちの試行錯誤と経験知こそが、今を生きる国民を支え縛っているのだ。第3回は「死者の民主主義」という視点から民主主義の問題点や限界を究明する。
オルテガ“大衆の反逆” 第4回「“保守”とは何か」(最終回)

オルテガ“大衆の反逆” 第4回「“保守”とは何か」(最終回)

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オルテガは現代人が人間の理性を過信しすぎているという。しかし、どんなに優れた人でもエゴイズムや嫉妬から自由になることはできない。人間は知的にも倫理的にも不完全で過ちや誤びゅうを免れることはできないのだ。こうした人間の不完全性を強調し個人の理性を超えた伝統や良識の中に座標軸を求めるのが「保守思想」だがオルテガはその源流につながる。長い時間をかけて培われてきた経験知に学ぶ保守思想の本質を明らかにする。
夏目漱石スペシャル 第1回「“三四郎”と歩行のゆくえ」

夏目漱石スペシャル 第1回「“三四郎”と歩行のゆくえ」

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「三四郎」で描かれる体験は、まだ誕生したばかりの近代小説、それを書き始めた漱石、それと出会った当時の読者、そして、産声をあげたばかりの近代国家・明治日本のとまどいを象徴している。この作品は、そんな三四郎をつい応援してしまう「応援小説」であり、「小説」「読者」「国家」の成長を追体験する絶好の素材でもある。第1回は、「三四郎」という小説から、産声をあげたばかりの日本の「近代」を読み解く。