『大河ドラマ 葵 徳川三代』の動画一覧

本編

(21)「偉大なる父」

(21)「偉大なる父」

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慶長12年(1607)元日、徳川家康(津川雅彦)に第五女・市姫が誕生する。が、喜びもつかの間、家康は心臓の発作で床に伏し、「幕府をつぶすな、豊臣秀頼(尾上菊之助)を一大名として封じ込めよ」と秀忠(西田敏行)に遺言する。さらに、「朝廷工作として政仁(ことひと)親王を奉り市姫を妃(きさき)として入内(じゅだい)させよ」という。家康は、自分の娘を皇太子に嫁がせ、やがては中宮にしようと考えていた。
(22)「大御所」

(22)「大御所」

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徳川家康(津川雅彦)は大御所として駿府より権勢をふるい、朝廷への朝鮮の使者を江戸の秀忠(西田敏行)のもとに行かせ、将軍を日本国王殿下と認めさせた。年の暮れ、駿府城の新築の本丸御殿が焼失。家康は近畿の諸大名に修築の布令を再び発した。大名の力をそごうとする策略と、淀(小川真由美)は警戒する。
(23)「宮中重大事件」

(23)「宮中重大事件」

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慶長十三年(1608)四月上旬。京都所司代の板倉勝重(鈴木瑞穂)が駿府城に駆けつけ、宮中の公家衆の不行状を訴える。徳川家康(津川雅彦)は、関白をかえて公家の放蕩(ほうとう)ぶりをあぶりだせと命じる。慶長十四年七月四日、関白・九条忠栄は、後陽成天皇の前で天子の女官たちと公家衆の不義密通を糾弾する。
(24)「野望の輪郭」

(24)「野望の輪郭」

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慶長15年(1610)2月、徳川家康(津川雅彦)は板倉勝重(鈴木瑞穂)を宮中に参上させ政仁親王の即位を迫る。家康は、秀忠(西田敏行)に政仁親王の即位に伴い市姫を入内させることを告げる。一方で名古屋城の築城を西国・北国の諸大名に命じ、何と豊臣家にもその役務を課した。片桐且元(小林稔侍)は、「豊臣家は大名にあらず」と免除を訴える。
(25)「秀頼上洛」

(25)「秀頼上洛」

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名古屋城の築城の役務に諸大名から不満の声があがる。徳川家康(津川雅彦)は直ちに帰国し兵馬を整え、徳川の討伐軍を待てと諸大名を恫喝(どうかつ)する。3月11日家康は京都二条城に入り豊臣秀頼(尾上菊之助)との対面を申し出る。28日およそ1万の軍勢に警護され秀頼は二条城に。対面の席上で家康は盃(さかずき)を秀頼に与え主従の逆転を見せつける。
(26)「派閥抗争」

(26)「派閥抗争」

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慶長17年(1612)。幕府の重臣である本多正信(神山繁)、正純(渡辺いっけい)親子と大久保忠隣(石田太郎)の権勢をめぐる対立が徐々に深まっていた。年の暮れ、「忠隣に不穏のたくらみあり」との直訴が徳川家康(津川雅彦)になされる。
(27)「悲憤の開戦」

(27)「悲憤の開戦」

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慶長19年(1614)7月、徳川家康(津川雅彦)は豊臣家の方広寺大仏殿の開眼供養に難癖をつける。さらに、大坂では浪人を集め謀反の動きあり。豊臣秀頼(尾上菊之助)の所領替えまたは淀殿(小川真由美)を人質に差し出せと迫る。
(28)「大坂冬の陣」

(28)「大坂冬の陣」

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慶長19年(1614)秋、大坂城には関ヶ原に敗北した旧大名、浪人となった旧家臣が続々と乗り込んでいた。11月11日、徳川秀忠(西田敏行)が10万の軍勢を率いて到着する。26日ついに今福で開戦の火蓋が切られた。
(29)「大坂夏の陣」

(29)「大坂夏の陣」

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慶長19年(1614)、12月18日、徳川家康(津川雅彦)は二の丸、三の丸を取り壊せば豊臣家の所領安堵(あんど)と淀殿(小川真由美)の人質も必要なしと和睦。が、翌年3月、再び挙兵のおそれありとの知らせが入る。5月6日、道明寺にてついに夏の陣が開戦する。
(30)「大坂城炎上」

(30)「大坂城炎上」

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天守閣に火が放たれ、潔く城と運命を共にすると決意する淀殿(小川真由美)と豊臣秀頼(尾上菊之助)。慶長20年(1615)5月7日夜、大坂城は炎に包まれた。明けて8日。淀殿と秀頼は、山里丸の倉に身を潜め、投降を断り自刃とともに倉を爆破する。
(31)「忠輝勘当」

(31)「忠輝勘当」

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慶長20年(1615)大坂夏の陣後、徳川家康(津川雅彦)は大坂参陣の際に将軍の直参を斬り殺した家康六男・松平忠輝(阪本浩之)に事の真偽を糾問し、勘当を言い渡す。11月、鷹狩りをする家康のもとに竹千代の乳母・お福(樹木希林)が駆けつけ、幕府内に竹千代廃嫡のうわさありと申し出る。
(32)「家康の死」

(32)「家康の死」

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元和2年(1616)1月21日、徳川家康(津川雅彦)が食あたりで倒れる。家康は和姫の入内を秀忠(西田敏行)に強く託し、世継ぎが絶えることがあれば尾張家、駿府家から将軍を立てよと遺言する。家康は冥土の土産に秀忠の鼓を聴かせてくれと願う。鼓を打つ秀忠にみとられ、4月17日家康は75歳でこの世を去る。
(33)「東照大権現」

(33)「東照大権現」

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豊臣家の墓所建立計画が進む。本多正純(渡辺いっけい)は、徳川家康の遺命に背くとふんまんやるかたない。松平忠輝(阪本浩之)は不行状が秀忠(西田敏行)の怒りに触れ、伊勢朝熊に配流される。元和3年(1617)4月17日家康のひつぎが日光東照社に移送、壮大な遷宮の儀が執り行われた。家康は東照大権現の名において神とあがめ奉られた。
(34)「御落胤」

(34)「御落胤」

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元和3年(1617)7月、徳川秀忠(西田敏行)のご落胤(いん)幸松が隠れていた比丘尼(びくに)屋敷に、何とお江(岩下志麻)の使者として常光院(波乃久里子)が乗り込む。江戸に戻った秀忠はこの一件を伝えられ狼狽(ろうばい)し、善後策を土井利勝(林隆三)に託す。11月8日、幸松は信濃高遠城主・保科正光の養子となり生母・お静(高橋かおり)とともに身を隠す。
(35)「竹千代の屈折」

(35)「竹千代の屈折」

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元和3年(1617)11月、江戸の大奥で騒動が起きた。徳川秀忠(西田敏行)の嫡男・竹千代(山田孝之)が大奥に忍び込み、お江(岩下志麻)の侍女をはらませてしまう。事の真偽を詰問するお江に対し、お福(樹木希林)はこれを強く否定する。お福は青山忠俊(石倉三郎)と善後策を相談、腹の子の父親として身代わりを立てる。11月21日、竹千代は居を西の丸に移す。竹千代とお江の仲はますます疎遠になっていく。
(36)「和姫入内(じゅだい)」

(36)「和姫入内(じゅだい)」

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元和5年(1619)7月、徳川秀忠(西田敏行)は諸大名を従えて宮中に参内。天子の弟・近衛信尋は藤堂高虎(田村亮)と和姫入内(じゅだい)の密談をする。一方、秀忠は京都所司代に命じ不良公家の処罰をおし進め朝廷へ圧力をかける。元和6年2月、朝廷内で和姫の入内に強く異を唱えていた後陽成天皇の母・新上東門院が崩御。流れが幕府に傾いた。6月18日、和姫はその名を和(まさ)子と改め、後水尾天皇の女御となった。
(37)「忠直の乱心」

(37)「忠直の乱心」

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元和7年(1621)2月26日、越前・北ノ庄でただならぬ騒動が勃発した。徳川秀忠(西田敏行)の三女・勝姫(月見恭子)の夫で城主・松平忠直(北直樹)が、こともあろうに家臣の母親を手にかけようとして対立。忠直は軍勢をもって母親もろとも殺害してしまう。秀忠は、忠直を江戸に呼びつけるが、忠直は9月の登城時に申し開きをすると返答するも一向に参勤する動きがなく、再三の幕府の使者にも病と偽り応対しない。
(38)「宇都宮釣天井」

(38)「宇都宮釣天井」

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元和8年(1622)4月17日、徳川家康の七回忌御祭礼のために日光東照社に参詣(さんけい)した秀忠(西田敏行)のもとに、宿泊予定の本多正純(渡辺いっけい)居城の宇都宮城に不審な動きありとの注進がある。
(39)「将軍家光」

(39)「将軍家光」

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元和8年(1622)11月、徳川秀忠(西田敏行)は家督および将軍職を家光(尾上辰之助)に譲ることを下す。秀忠は関白・九条忠栄(山下規介)に家光の将軍宣下とあわせ鷹司孝子姫の輿(こし)入れを速やかに進めることを申し出る。
(40)「親ごころ」

(40)「親ごころ」

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元和9年(1623)12月、江戸城で将軍徳川家光(尾上辰之助)と鷹司孝子姫(中江有里)の婚儀が執り行われた。翌年の暮れ、家光は家康も秀忠(西田敏行)も成しえなかった計画を、お福(樹木希林)にもらす。関東への天子行幸という途方もない考えであった。

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